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元電通のTVマンが、早稲田大サッカー部の監督になってやったこと

早稲田大学ア式蹴球部・外池大亮監督インタビュー

2018/03/12
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 元Jリーガー、元電通マン、現役テレビマン。

 1997年にベルマーレ平塚に入団してプロのサッカー選手として11年、企業人として10年歩んできた男が今年2月、母校の早稲田大学ア式蹴球部(サッカー部)監督に就任した。

 外池大亮、43歳。

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 今季、関東大学リーグ1部に復帰するア式蹴球部の再興は、ワセダマンの人材育成から。学生に自分で考えさせ、判断させるビジネスマン流の指導法も新しければ、現職のスカパーJSATグループ社員業務との兼務も新しい。外池は大学スポーツ界に対しても、社会に対しても、新たな価値観を提示しようとしている――。

早稲田大のグラウンドに立つ外池監督

◆ ◆ ◆

笑いの絶えないグラウンド

 2月上旬、雪が残る早稲田大学の東伏見グラウンド。

 軽いランニングでコースを回る学生たちに、大柄な新米監督が声を掛けていく。

「走っていても笑顔でやれよ~」

 笑わないなら、学生の名前を呼んで笑わせてやる。すると学生のほうから、自分の名前を呼んでくださいとばかりに催促が入る。また笑いが起こる。部活動の監督というより、たまに遊びに来た気のいいOBに映る。

 

Jリーグ時代は“何でも屋”

 外池は異色のキャリアを誇る。

 早実時代に、全国経験は一度もなし。それでも大学ではレギュラーに昇り詰め、20年ぶりの関東大学リーグ優勝に貢献。空中戦、フィジカルに強い泥臭いフォワードは平塚(現・湘南ベルマーレ)を皮切りに多くのクラブを渡り歩いた。J1通算82試合、J2通算101試合に出場。ディフェンダーもこなす“何でも屋”はどのクラブでもサポーターに愛され、33歳で惜しまれながら引退した。

 現役中にインターンシップにも積極的だった人は電通にその才と行動力を期待されて入社し、サッカーのスポンサー営業を担当する優秀なビジネスマンに転身した。そして今度はサッカーコンテンツ事業に深く携わるため、スカパーJSATグループに転職。サッカー中継、関連番組の編成、制作、広告事業、解説業とフル回転してきた。そんな最中、部のOB会から監督要請を受け、会社からの理解と後押しを得られたことで母校に戻ってきたという経緯である。