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野村克也「沙知代は世界にただ一人しかいない」

亡き妻 亡き夫へ――先立った伴侶にいま伝えたい感謝のことば

2018/03/10

 野球評論家・野村克也氏(82)の妻・沙知代さんは、昨年12月8日に85歳で亡くなった。死因は虚血性心不全。

 何の前触れもなく倒れ、そのまま逝ってしまった突然の別れを、野村氏はいまも受け入れられずにいる。

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野村克也氏 ©文藝春秋

 ずっと闘病していて亡くなるのと、突然死と、どっちがいいだろうと思うんだ。心の準備って、全くできてなかったから。こんなあっけない、簡単な最期ってあるのかな。闘病生活に付き合うのも辛いだろうけど、どうなんだろうね、ああいう死なれ方……。

 隣の部屋でテレビを見ていたら、お手伝いさんが急いで来て「旦那さん、奥さんの様子がおかしい」って言うんですよ。すぐ行ってみたら、ダイニングの椅子に座ったまま頭をテーブルにつけた状態だった。肩を叩いて「大丈夫か?」って依いたら、サッチーさんらしく最後まで強気な姿勢を崩さなかったね。「大丈夫よ!」と言った。だけど様子がおかしいから病院へ運ぼうと救急車を呼んだんだよ。

 本当に突然です。病気も一切したことなかったし、前の日まで元気だったから。あんなにあっけなく、人生の終わりを迎えるとは思わなかったな。まぁ、人間って誰でも最後は死ぬんだけど、その死に方だよね。どんな死に方がいいかなって、最近はそればっかり考えてる。

「俺より先に逝くなよ。ちゃんと見送ってからにせえよ」ってよく言ってたんだけど、守ってくれなかった。ちょうど去年ぐらいから、僕がそんな話をするようになって、嫌がられてたんです。奥さんは、いつも前向きな性格ですからね。

「何とかなるわよ」と「大丈夫よ」という言葉に、いつも助けられました。普段は軽く言うんだけど、あの日は強い語尾の「大丈夫よ!」だった。これはちょっと違うなって、もう察してたんじゃないかね。大丈夫じゃなかった……。

 知り合ったのは昭和45(1970)年8月。後楽園の東映フライヤーズ戦の前で、南海ホークスの定宿から近い中華料理屋です。そこはふかひれラーメンが美味しくて、マネージャーと二人で食べてるところへ「ママー、お腹空いた」って言いながら入ってきたのが彼女。そのママから、「監督、いい人紹介してあげる」と引き合わされたのが最初でした。

 そのころ僕は、前の嫁さんの浮気を知って「出て行け」と言っても出て行かないもんで、自分が家を出て知り合いの世話になってました。南海の選手から兼任監督になって1年目で、チームも弱い。そんな最悪の精神状態のときに出会ったから、相性というより、タイミングとしてよかったんでしょう。

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