昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

福島に勇気を与えた「奇跡の種牛」

原発の被害を免れた1頭の牛と農家の奮闘

2018/03/11

「和牛全共」をご存じだろうか。

「全国和牛能力共進会」の略称だ。各県が独自に改良を進めてきた和牛で競い合う、肉牛の品評会である。5年ごとに開かれることから「和牛の五輪」とも呼ばれる。

 この9月に宮城県仙台市で開かれた第11回の和牛全共には、39道府県から513頭が出品され、福島県は県として史上最高の成績を収めた。

 その原動力になった1頭の種牛がいる。

 名を「高百合(たかゆり)」と言う。

 福島県川内村で、2008年に生まれた。

 その3年後、東京電力福島第一原子力発電所が事故を起こし、同村は深刻な被害を受けた。

 原発から20キロ圏内には、政府が避難指示を出して、立入禁止になった。このため多くの牛が殺処分にされたり、餓死したりした。

 高百合の生まれた集落は、まさに同村の20キロ圏内にあった。

 しかし、高百合はそうした中にあっても生き残り、同県の種牛のエースにまで上り詰めてゆく。その奇跡の物語はあまり知られていない。

種牛の高百合が生まれた集落

番外から選ばれる

 川内村を含む双葉郡は、福島県でも独特の和牛産地だった。主に同郡をエリアとする和牛の専門農協「双葉畜産農協」が中心となり、独自の改良を進めてきたからだ。

 牛の改良は一般に、地元の母牛に優れた種牛の子を生ませるなどして行う。「これだ」というメスが生まれたら、農家は出荷しないで手許に残す。そしてさらに目ぼしい種牛の子を生ませ、目標とする体格や肉質を目指す。

 オスは、ほんの一握りが選抜されて種牛になるほかは、去勢されて肉になる。

 優れた牛のルーツは兵庫、鳥取、岡山などの県だとされている。双葉畜産農協では1960年代から、この3県の種牛を導入し、改良を重ねた。

 同農協が自前の種牛を保有したのは92年までだが、それまでに双葉郡の母牛の集団は、サシがいいと言われるようになっていた。

 そうした血を濃く受け継ぐ母牛に「みつこ」がいた。体がひときわ大きく、優しい性格で、川内村で飼われていた。

 和牛農家には2種類ある。母牛に子を生ませ、10カ月ほど育ててから子牛市場に出す繁殖農家。そして、買った子牛を20カ月ほど太らせ、食肉市場へ出荷する肥育農家だ。

 みつこを飼っていたのは、高齢の繁殖農家だった。だが、後継者がおらず、手放さざるを得なくなった。その時、救いの手を差し延べたのが、隣に住む吉岡清さん(74)とヒデ子さん(69)の夫妻だった。

「みつこをペットのように可愛がっていた人なので、隣で引き取ればいつでも見に来られると思ったのです」と、清さんは話す。

 夫妻が住んでいたのは、阿武隈の山々に深く入り込んだ集落だ。和牛の繁殖が盛んで18軒のうち10軒以上が飼っていた。器用な清さんは、質のいい子牛を生ませる農家として評判になっていた。

 夫妻はみつこに、精液の入手が困難なほど人気があった鹿児島県の種を付けた。この父母のもとで生まれたのが高百合だった。

 そうした動きを見守っていた人がいた。双葉畜産農協の職員だ。みつこは生んだ牛の枝肉(胴体部の肉)の成績が良かったので、次の子牛に注目していた。職員は高百合が生まれると駆けつけて来て、「これはいい種牛になる」と断言した。

 そして同県の種牛を一元管理している県畜産研究所(福島市)に持ちかけ、種牛候補として県に引き取ってもらった。

 候補にはなっても、正式な種牛になるまでの道は遠い。県の種牛は常時10頭前後しかおらず、幾次もの選抜でふるいにかけられる。高百合は肩の形が独特だったので、第1次選抜で落とされる予定になっていた。

 和牛は肉質が勝負だが、それを見るために枝肉にしてしまっては繁殖に使えない。そこで外見から肉質や遺伝能力を類推する方法が確立されている。外見から判断すると、高百合はやや規格外だった。

 ところが、本命の候補牛に遺伝的な問題があるのではないかという声が出た。このため番外の高百合が第1次選抜を突破した。ここで外されていたら、廃用にされて命はなかった。

 高百合は強い運を持っていた。