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「空白の1年間」に寄り添った福島県「こども食堂」のいま

子どもの困難を『見える化』してきたソーシャルワーカー

2018/03/11

 JR新白河駅の近くの一軒屋に子どもたちが集まってくる。そこにはピアノを弾いたり、ゲームをしたり、タロットカードに興じる子どもたちの姿がある。キッチンでは高校生が食事の用意をしている。

 この場所は福島県白河市の「まかないこども食堂 たべまな」。名前は「食べよう、学ぼう」から取った。毎週月曜日、開かれている。非営利の任意団体で、「駆け込み寺」と「コミュニティ」を掛け合わせた「KAKECOMI」が運営している。

放課後は一人になることが多いので、居場所が欲しかった

こども食堂を運営する「KAKE COMI」の鴻巣さん

 代表は鴻巣麻里香さん。カウンセラーや精神保健福祉士の資格を持つ。スクール・ソーシャルワーカーの仕事もしている。

 震災後にはじめた「こども食堂」は、当初、JR白河駅近くの食堂を間借りしていた。しかし、食堂が閉店をしたことで、物件を探し、現在の場所にたどり着いた。木造建築の2階建て。これまでに実人数で60人以上が利用した。

「リフォームはみんなでやりました。以前の食堂よりも子どもたちが伸び伸びと使うことができます。本棚は大工になりたい女の子が作りました」

 中でも、中心的に動いているのは、石田雛乃さん(18)。この3月で白河高校を卒業。自宅から車で30分の距離を通っている。取材に訪れた日も積極的にキッチンに立っていた。午後6時には、みんなで食事を食べることができる。

「放課後は一人になることが多いので、居場所が欲しかった。誰かに指示されることなく何か役に立ちたいと思いました。心の安らぎが得られます。必要とされることが嬉しい。自分が世話好きというのもここで発見した」

ゲームで遊ぶ子どもたち

 白河市は福島県の中通りの南端。栃木県との県境に位置する。東日本大震災では津波の影響はないが、地震で発生した土砂災害等で15人が亡くなっている。また、事故のあった東京電力・福島第一原発からは約80キロ。不安を抱く市民もいたが、むしろ、原発の近くから避難してきている人たちもいる。

 震災当時、茨城県内の精神科病院で働いていた鴻巣さん。翌年から福島県内で仕事がしたいと思い、郡山市内で働き、その後、「ふくしま心のケアセンター」で働くことになり、白河市に移り住んだ。

 しかし、被災者として扱われない地元の人たちはケアの対象外だったことで、地元の医療関係が疲弊していくのを見ていた。

子どもたちは“食事の対価”として、何かしら“手伝う”

 また、鴻巣さんは震災後に離婚を経験した。震災前からあった脳の腫瘍によって激しい痛みにも襲われた。都内の病院に入院して、手術は成功した。様々な変化もあった。将来を模索する中で、子どもたちの居場所づくりと、地域に根ざした活動をするようになった。

「こども食堂」の運営費は寄付金のほか、クラウドファンディング(インターネットで寄付を集めること)で捻出した。

「ここでは、子どもたちは無料で食事を食べられます。しかし、子どもたちは“食事の対価”として、何かしら“手伝う”ことになっています。食器は自分で洗いますし、勉強やピアノを教えたり。どんな子どもでも嫌とは言わない」