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連載オカンといっしょ

オカンといっしょ #19 Purple(前篇)「クジラぐもさんの涙。透明な涙。芸人を辞めてヤクザになった」

ツチヤタカユキの連載小説

genre : エンタメ, 読書

「人間関係不得意」で、さみしさも、情熱も、性欲も、すべてを笑いにぶつけて生きてきた伝説のハガキ職人ツチヤタカユキ。これは彼の初めての小説である。

 彼は、父の顔を知らない。気がついたら、オカンとふたり。とんでもなく美人で、すぐ新作(新しい男)を連れてくる、オカン。「別に、二人のままで、ええやんけ!」切なさを振り切るように、子どもの頃からひたすら「笑い」を摂取し、ネタにして、投稿してきた人生。いまなお抜けられない暗路を行くツチヤタカユキの、赤裸々な記録。

◆ ◆ ◆

 ヤクザなんて、映画の中でしか見た事がない世界。

「やっぱ、『アウトレイジ』みたいな感じですか?」

「全然違うよ」

 運転席にいるクジラぐもさんが答える。

「『アウトレイジ』でヤクザをちゃんと描けていた場面は一箇所だけやな」

「どこですか?」

「皆が集まった時に、おしぼりが配られる所だけや」

 カーステレオから流れる、ハードコアヒップホップの歌詞は、過激だけど優しさを内包していた。

「しくじったらけじめとして指1本詰めるっていうのも、間違いやねん」

「そうなんですか?」

「厳密には、1本じゃない。関節ごとやねん」

 クジラぐもさんは自らの指を出して、関節を数えた。

「第1関節。第2関節。第3関節。指1本につき3回までしくじれる」

 クジラぐもさんがハンドルを握る手。両手の指がちゃんと5本とも揃っている。それは、クジラぐもさんが、ヤクザ時代に一度もしくじらなかった事を、証明していた。

「めっちゃしくじる奴おってな、そいつはもう両手とも人差し指1本しかなかったわ」

 ハンドルの真ん中にあるクラクションは、人の顔の形をしている。

「ヤクザっていうのはな、職業の名前じゃないねん。人の生き方の名前や」

 その言葉を聞いて、僕が子どもの頃に好きだったある芸人が引退する時、最後の舞台で、残した言葉を思い出した。

「芸人ってのは職業やない。それは人の生き様の名前やと思ってます。職業じゃなくなっても、私は一生芸人です」

 あの芸人さんは、今も生き様で芸人をやってんのかな?

「昔、ヤクザやってん」

 飲み屋で知り合ったクジラぐもさんは、そう言って、着ていたシャツの背中をまくり上げた。背中に彫られた刺青は、この世のものとは思えない化け物だった。

「人生が3回あったら、一度はやってみたかった生き方やってん」

 クジラぐもさんの運転で、深夜高速を走る。そういえば、ガキの頃もこんな風にヤクザとドライブした事あったな。

 自分の顔が映る窓ガラス。いつの間にか大人になっている。

「ヤクザになる前は、何やってはったんですか?」

「芸人や」

「えっ? ホンマですか?」

「おう。昔な、2丁目劇場に『WA CHA CHA LIVE』っていうコーナーがあってな、毎週オーディションがあって、5回合格したら2軍のWA CHA CHA LIVE Jr.のメンバーになれんねん。俺が漫才しとった頃、そこのメンバーやってん」

 かつてダウンタウンなどを輩出した若手の劇場。その劇場が起こしていたブーム。その当時は毎日のように2丁目劇場関連のテレビ番組がやっていたらしい。

「当時の劇場のトップはベイブルースさんでな、WA CHA CHA LIVE Jr.のメンバーになったら、その日の夕方にやってる2丁目劇場のテレビ番組の、ひな壇に座れるんや」

 昔、漫才師だったからなのか、話をするのがすごく上手で、クジラぐもさんの記憶の中に入り込んでるみたいに、一度も見た事がないその劇場が鮮明に頭に浮かんだ。

「そこに座るのが最初の目標やった。初めて座れた時はホンマに嬉しかったわ」

 人の記憶の中に位置する、春夏秋冬のどれでもない、5つ目の季節。その名は青春。何十年経っても風化せず、光り輝いたまま保管されてる記憶。

 クジラぐもさんは、昔、どんな漫才師やってんやろ? その頃の漫才、見てみたかったわ。

「なんで、辞めはったんですか?」

「俺らのコンビは神戸から難波の劇場に通っててんけど、ある日、めっちゃスベった日の帰りの電車でな、相方と無言で帰っとってん。で、三ノ宮に着いた時に、相方が初めて口を開いて、『解散しよか』って言うて来てん」

 大人になると人は、滅多に涙を流さなくなる。

 だけど、その時のクジラぐもさんは、ずっと涙を流しているように見えた。透明な号泣。

 その嗚咽は、まるで、ピアノの鍵盤の黒い部分だけで、演奏するブルース。

◆ ◆ ◆

つづく(※小説「オカンといっしょ」は毎週金曜17:00に公開します)