『ドラえもん』(星野源)/『さよならエレジー』(菅田将暉)
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藤子不二雄の作品のなかで『ドラえもん』だけが益々ダントツ人気というのもなんだか勿体ない気がしないでもないが、市場というのはきっとそんなものに違いない。
この歳にもなれば少しは色々なことにも分別がつくようになってくるのである。
ところで『ドラえもん』に限らず本来が低年齢層相手のお気楽漫画動画一般、劇場公開用となるや必ずといっていいほど、TVで毎週やっているようなのとは違って、深みを出すっていうんですか? いわゆる“感動巨編”的な仕上がりになってしまうのは、何故なのでありましょうか。
やはり作り手の意識も“銀幕”イコールTVより偉い! というところに行ってしまうんですかね? とそう思っていた時期もあったが、段々わかってきたのは“尺”である。本編とTVでは根本的に長さが違う。90分なりをのんびりとしたナンセンスな展開だけで持たせるのはきっと――脚本とか考えるのが――至難のわざなのであろう。
ゆえに、荒唐無稽な設定の世界とは申せ、結果的必然として、観ている客たちに、なんらか“心”のようなものを実感させるような作りにならざるを得ないのではないかと。
また一方、映画館には子供だけじゃ入れないという現実もある。同伴の保護者(なかでも特に母親だね)の皆さんを退屈させぬための配慮とか、様々なご苦労もあるんだろうなぁとかなんとか……。
そうした事情が背景なのかは俺にもよくわからないんだが、なんにせよ劇場用『ドラえもん』主題歌といえば、ここのところはあんまりメインユーザーたる幼児たちとは関係もなさそうな、イケメン系のjpop歌手起用と、相場が決まっているようだ。
てな訳? で今回は星野源である。こりゃどんなアイデアで攻めてくるのか興味のひとつも湧こうてぇものである。
さて再生を始めると、ニューオリンズ風というのか、イントロから刻まれる、この、jpopには稀なリズムの使い方が、まさに星野源ならではの洒脱な音楽的センスである。
だが、そこに乗るメロディはとても素直なもので、歌いっぷりにも同じことがいえる。そうしたアレンジと歌のバランスのせいだろう。化粧っ気や飾りっ気はないが、しかし全体的な印象はおしゃれである。
いわば、子供に安心して聴かせられる、そして母親も楽しめる。そのような着地点を求めて、結果見事にそこに落とし込んでみせた。そんなプロフェッショナルな仕事を私はこの『ドラえもん』に見たのだけれど、何より評価したいのは、歌詞のなかに無理なくきちんと“ドラえもん”というコトバを入れ込んでいるにもかかわらず、単なるアニメ主題歌にはさせず、一種哲学的といっていい――すなわち星野源にとってドラえもんとは何を意味するものなのかということだ――余韻を残すことに成功した点である。
菅田将暉。
楽曲、歌唱ともに80点。
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