『24』のようなハイテンポ
船が無事海に出て物語が転がり始めると、なんかもう凄い勢いでいろいろ置き去りになっていくわけなんです。テレビシリーズ『24』のようなハイテンポでエピソードが詰め込まれて高速で物事が進展していくんですよね。宝島に宝探しに出たはずが、その「島」はどうなったんだよ。最初だけじゃん、島なの。そもそも島ですらないじゃん。それどころか、島の形状にしている必要すら本来はない。なのに「宝島」。どういうことなの。あのね、私は映画の最後までずーーっと「あの島がきっと伏線なんだ、伏線に違いない」と思いながら観ていたんですけど、はい、最後まで忘れられていました、島であったことが。というか、島を偽装したって見つかるに決まってるじゃないですか。むしろ目立つだろ、島。島嶼部なめんな。いきなり「島が見つかりました」ってテレビで報じられてるじゃないですか。あんな日本海溝の近くに島できて領海取れたら日本人は喜んで占領しに行くだろ。
あと海賊。お前ら何してんの。というか海賊どっから来たの? 未来から来たはずなのに何でそんなに前近代的で中世的な封建社会を維持して古風な石造りの街並みで楽しく仲良く暮らしているんですか。そういう趣味なんですかね。いや、『宝島』なんだから海賊が隠したお宝が島にある前提なんだけど、こちらも途中から完全に忘れられていないですか。そもそも海の下潜ってお宝を探して引き上げている行為自体は別に悪事でも何でもないんじゃないの。誰のものでもないんだからさ、沈んだ財宝なんて。それに財宝手に入れたって、使うアテ無いじゃん地球見捨てるんだからさ。しかも、どうもボスのおっさんの意向が、きちんと海賊たちには伝わっていないようです。「聞いてねえよ」って話が出てきて、風通しの悪い組織の悪しき企業文化を体現しています。海賊っぽいというだけで不当に社会から爪はじきにされ、すべての時代でお尋ね者扱いにされかねない残念なポジショニングに出木杉さん以上の悲哀を感じずにはいられません。というか、途中から完全に海賊がラピュタにおけるロボット状態にされているよね。いてもいなくても変わらないし、存在が抹消されてるぞ的な。
物事を成功させるために必要なことのすべては用意と準備
それに、超未来から来た海賊なのに、全力で放った魚雷が面舵一杯の木造帆船に全弾かわされて相手が無傷とか絶対おかしいだろとか、太平洋から大西洋に舞台を移動するにあたってパナマ運河を通らないのはアメリカ軍に対する配慮なのかとか、そんな長距離航海するぐらいならいったん撤収して装備や消耗品の準備を整えて、どこでもドアで近場まで移動してから道具出せよ、兵站の基本を知らないイノシシ武者だな、三国志なら知力1だろとか思ったりもします。というか、情勢が不利であればいったん冒険を進めるのは止めて安全なところに退避するという基本ができていない気がするんですよね。タイムパトロールに通報して援軍を求めるとか、出木杉さんを補充して戦力を高めるとかいろいろできたはずだと思うんですよ。
私が子供たちに伝えたいのは、物事を成功させるために必要なことのすべては用意、準備であって、充分な戦力と休息と補給があってこそ冒険の成功率が高まると、そのようなことでありまして、ここまできたから最後までやったろうという大日本帝国軍のような精神では補給の続かない先で多くの日本人が餓死・病死してしまうという歴史の教訓なのであります。最後ギリギリになってボスのおっさんの暴挙は制止されますが、それだって結果論で、南アメリカ最南端のフエゴ島沖まで木造帆船で日数をかけ航海を続けて時間を無駄にしています。いったん撤収していれば余裕をもってシンプルかつイージーに企図を防止でき犯罪を未然に防ぐことができたと思うんですよね。