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外務省幹部が見た金正日と金正恩の違い

対北朝鮮交渉の第一人者が明かす瀬戸際外交の手口!

2018/04/29

 2002年末にアジア大洋州局長に就任して以降、拉致問題や核開発をめぐる北朝鮮との交渉を担当した藪中三十二氏。彼らの手法を熟知する藪中氏は、いまの金正恩体制をどう見ているのか。各国首脳は北朝鮮にどう対処していくべきなのか、詳細に語った。(「文藝春秋」2017年7月号)

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 北朝鮮情勢は緊迫度を益々増しています。弾道ミサイル発射を繰り返し、通算6度目となる核実験も準備していると言われている。金正恩朝鮮労働党委員長が、核・ミサイル開発に邁進しているのが見て取れます。

 私は正恩氏に直接会ったことはありません。ですが、国際社会への挑発をくり返す正恩氏の言動を見ていると、かつて私が日朝交渉の席で目にした父・金正日総書記とはずいぶん性格が違うように感じます。何事にも慎重だった正日氏に比べ、正恩氏は向こう見ず。しかし裏を返せば迅速な決断力があり、同時に駆け引きを仕掛けるしたたかさも備えている。交渉するには実にやっかいな相手だと思います。

 2004年、小泉純一郎首相による2度目の訪朝の際、アジア大洋州局長として同行した私は、首脳会談にも同席して小泉首相と金正日総書記のやりとりを目の当たりにしました。印象に残っているのは、正日氏の慎重な物言いです。正日氏は国際情勢や日本の状況など、さまざまな問題を正確に理解したうえで、多くの選択肢を検討しながら慎重に言葉を選んでいるように感じたものです。特に驚いたのは、正日氏が核について「あんなものは無用の長物だ」と言っていたこと。ただ核開発に突き進むだけではなく、核廃棄というカードも手元に置いていたのです。

2004年5月22日、日朝首脳会談を終え握手する金正日総書記(左)と小泉首相

 こうした慎重な姿勢は、他でも見られました。北朝鮮は1994年の米朝協議で核開発の凍結に合意した後も、ウラン濃縮型の核兵器開発を秘密裡に続けており、2002年には核開発を事実上認めましたが、核実験までには至らなかった。

 初めて核実験を行ったのは2006年。米財務省がマカオにある中国系銀行「バンコ・デルタ・アジア」の北朝鮮関連口座を凍結する金融制裁を行った翌年のことです。おそらく、それまでも技術的には核実験は可能だったのでしょうが、正日氏はなかなか踏み切らず、アメリカの出方を見ていたのです。

トランプ大統領の脅威

 それに比べると正恩氏は、委員長就任後の5年間で3回の核実験を行うなど、核開発を急激に加速化させています。これには2つの理由が考えられます。

 1つ目は、国内での自身の権力を安定的なものにするためです。正日氏の場合、トップになるまでの準備期間が長かったので、盤石な国内基盤を作ることができた。総書記就任後は、その国内基盤を維持するため、側近たちに対して記念日に贈り物をするなど、きわめて周到に気配りをしていました。

 対して正恩氏は、国内基盤を固めるだけの準備期間がなかった。そのため、自分の地位を守ろうと、側近たちを次々と粛清する恐怖政治を敷いています。核ミサイル開発も、権力を確立する手段の一つなのです。

2010年10月、朝鮮労働党創建65周年を記念して行われた軍事パレードを観閲する金正恩氏(右)と金正日総書記

 2つ目の理由は、リビアのカダフィ政権の崩壊が、正恩氏の教訓となっているためです。

 2003年、カダフィ大佐は米英両国との間で大量破壊兵器の廃棄で合意、核を放棄しました。しかしその後、反政府軍を鎮圧するカダフィ政権に対して国連安保理が軍事制裁を決議し、政府軍を攻撃。結局2011年10月にカダフィ大佐は殺害され、政権崩壊に至った。2カ月後の12月に父の死に伴いトップに就くこととなった正恩氏は、この一連の経緯から「核を手離せば攻撃される」と痛感したのでしょう。

 さらに、正恩氏が核開発を加速化させる一因となっているのが、トランプ大統領の存在です。トランプ大統領は今年(2017年)4月に化学兵器を使用したシリアをミサイル攻撃し、北朝鮮への先制攻撃もちらつかせている。北朝鮮にとっては、トランプ大統領の誕生により、アメリカの脅威が急速に迫ってきていると言えます。

 振り返れば、オバマ政権下の8年間、アメリカは「戦略的忍耐」を掲げてきました。北朝鮮の挑発に踊らされず、じっくりと対応するという方針です。北朝鮮が濃縮ウラン開発の動きを見せても、まったく反応を見せなかった。2010年、平壌を訪れたアメリカの核専門家、ジークフリード・へッカー博士が「ウラン濃縮のための遠心分離機が約2000台設置されていた」と証言しても、オバマ政権は問題視しませんでした。2016年、オバマ政権末期に1年で2回の核実験を断行され、ようやく「これは危ない」と気付いたようですが後の祭りでした。オバマ政権の責任は重いと言わざるを得ません。

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