文春オンライン

佐藤愛子、九十歳を語る。

「オール讀物」2013年11月号より

2013/11/05

genre : エンタメ, 読書

note

「アポロが飛んでるのねえ」

――いや、編集が介抱はするかもしれないけど、結果はすべて作家の実力です。受賞のときにも佐藤さんは落ち着かれていましたね。選考会の夜は、どこにいるのかなと思ったら、肝臓を悪くして入院している川上さんのお見舞いに行かれて。

佐藤 虎ノ門病院の分院で、そこらじゅう畑の真ん中にあったんです。ずいぶんと道に迷ってね。やっと辿り着いたら、日が暮れていました。そこに文春の人が来ていたんですよ。私が病院に入っていったら、ナースステーションで川上さんが浴衣のままで電話をかけていて、私のほうを見て「直木賞とったよ。何やってんだ!」と言うのよ。そこで文春の人に「お受けいただけますか」と聞かれたの。その頃はうちに次々と借金取りは攻めてくるし、賞を取ったら次の小説雑誌全部に書かなければ、一人前の作家として認められないといわれていた時代でね。六誌ぐらいあって、それに全部書かなきゃいけないと思い込んでいたのね。借金取りの攻勢の中だから迷っちゃって、「川上さん、どうしよう。できないわ」と言ったら、川上さんは「しかし銭は入るぞ」と(笑)。その一言でいただきましたけどね。あの小説は借金取りの合間を縫ってワーッと書いたものだから、一所懸命に推敲して書いたわけじゃないし、あまり嬉しくなかったんですよ。原稿料欲しさに書いたことに、自分としては恥じ入っていたんです。

それから新橋第一ホテルで記者会見があって、大村さんは来てくだすってたんじゃないかなあ。

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――もちろん。

佐藤 敵陣に入るがごとき心境でした。大村さんのニコニコした顔が向こうに見えたらホッとしましたよ(笑)。記者会見が終わったら、ありがとうございました、でさよなら。最近では候補になった人のところに各社の編集者がへばりついて、今や遅しと待っているわけでしょう。そんなお祭りさわぎなかったんですよ。誰も顔を出さないし、静かなもんです。「文學界」の私の担当者と二人で、新橋の駅に向かってヒョコヒョコ歩いて帰りました。ちょうどアポロが月へ向かって行ってる夜でね。お月さんがビルの上に出ていて、「ああ、今あすこへ向かってアポロが飛んでるのねえ」と言いながら、二人で新橋駅へ行ってさよならって別れました。

文春の人に「翌日に来い」と言われたもんだから、行ったんですけどね。社長の池島さんはゴルフでいないの(笑)。後に社長になった上林さんが出てきて、芥川賞の庄司薫さんと田久保英夫さんと私の作品を批評するのよ。偉そうに(笑)。出がらしのお茶みたいのを一杯飲んだだけで帰りました。何のために呼ばれたか……。社長にお礼を言わせるために呼ばれたのかなと思ったけど、その社長はゴルフに行ってんの。

(中略)

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