文春オンライン
文春野球コラム

上原浩治の復帰が巨人軍と巨人ファンにもたらしたもの

文春野球コラム ペナントレース2018

 Welcome Back.

 オーロラビジョンにオレンジ色の文字が浮かび上がり、懐かしの登場曲『Sandstorm』が鳴り響く。スタンドからは「来たーっ!」「お帰りなさい〜!」という絶叫と割れんばかりの拍手が送られる。ついにあの男が帰ってきたのだ。

 2018年3月20日、日本ハム戦の7回表に上原浩治が3426日ぶりとなる東京ドームのマウンドへ上がった。その姿を一塁側内野席から見つめながら、「もしNPBの他球団に獲られていたら今頃悔しくてたまらなかっただろうな」なんて考えてしまった。本当に良かった。

ADVERTISEMENT

 まだシカゴ・カブスのユニフォームを着ていた1年前、いやFAだった1か月前でも「開業30周年の東京ドームで上原が10年ぶりに帰ってきてジャイアンツの背番号11をつけて凱旋登板するよ」なんて言ったら、いい加減フラれたオネエちゃんを追い続けるのはよせ、かなわない夢は見るなと全野球ファンから突っ込まれていたことだろう。今夜、不可能が可能になった。平日夜にもかかわらず来場者数は4万6297人と、オープン戦で実数発表が始まって以来の最多記録を更新。みんな、その瞬間を待っていたのである。

 先日、Twitter上のプロ野球死亡遊戯アカウントから「皆さんの“平成の巨人のエース”と言えば誰ですか?」というアンケートを実施させてもらった。総回答数は6787票(ご協力いただいた方々ありがとうございました)、結果は4位内海哲也9%、3位斎藤雅樹24%、2位菅野智之28%、そして1位は上原浩治で39%だった。恐らく、90年代初頭の斎藤では昔すぎて、近年の菅野や内海ではまだ新しすぎる。結果、90年代末から2000年代にかけて上にも下の世代にも幅広く見られてきたエースが、2度の沢村賞に輝き、7年連続開幕投手を務めた上原ということだろう。

10年ぶりに巨人に復帰した上原浩治

1999年の松井秀喜、高橋由伸、上原浩治がいた時代

 19年前、上原浩治がプロデビューした1999年、巨人戦ナイターは当たり前のようにほぼ全試合、地上波テレビ中継されていた。まだネットもそれほど普及しておらず、もちろんスマホの動画配信もない。テレビが娯楽の王様として圧倒的な説得力を持っていた時代、長嶋監督のもと25歳の松井秀喜が自身初の40本台クリアとなる42本塁打を放ち、24歳の高橋由伸も打率.315、34本塁打、98打点でベストナインとゴールデングラブを受賞し、ルーキー上原は20勝を挙げて投手タイトルを独占した。若き松井、由伸、上原らが躍動した99年巨人戦の年間平均視聴率は「20.3%」。なお巨人戦視聴率が平均20%を越えたのはこの年が最後だ。

 つまり上原は、圧倒的な人気と知名度があった「あの頃の巨人」をど真ん中で体験している最後の投手なのである。しかもテレビCMでも松井は富士通や久光製薬、由伸がサントリー、上原がハウス食品とそれぞれ大企業の顔としてお茶の間を席巻。いわば、どんな有名芸能人よりも頻繁に、毎晩地上波テレビのゴールデンタイムに登場していたのが彼らだったわけだ。そして平成も終わりかけている現在、まるで世紀末の宇多田ヒカルの懐メロを耳にしたような感覚で、99年流行語大賞の“雑草魂”に反応して駆け付ける東京ドーム。最近の巨人の選手は知らなくても上原は知っている、世の中にはそんな元巨人ファンやプロ野球ごぶさた層は多いと思う。20日のオープン戦史上最多の観客数がそれを証明していると言えるだろう。

文春野球学校開講!