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川﨑宗則は「引退」じゃない 「野球から距離を置く」の真意とは

文春野球コラム ペナントレース2018

2018/03/30
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かすかでも、確実に前進

多くの野球ファンから愛されていた川﨑

 少なくとも今は体調回復に専念をするというのは事実。期限は設けず、どれくらいの時間がかかるのかは分からない。焦る必要もないと思っている。ただ、元気になった時、「野球選手・川﨑」の可能性を完全に消してしまうような報道の持っていき方はちょっと納得できなかった。しかも任意引退ではなく自由契約なのだから。翌日以降も、一度振り上げた拳は下ろせないというような報道も見受けられるが、ファンの皆さんにはぜひ冷静に情報を見極めて頂ければと思うし、お願いしたい。

 どんな時もチームのムードメーカーで、幾たびの逆境も笑って跳ね返してきたのがムネリンだ。

 ただ、シカゴ・カブスで同僚だった上原浩治(巨人)が「繊細だった」とコメントしたとおりの男である。

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 筆者がこの世界に飛び込んだのは2002年。記者クラブ制度が根強く、現在よりもその色が濃かった当時は「異物」として扱われ、なかなか話し相手も出来なかった。時を同じくして、1軍でプレーし始めたのが当時21歳の川﨑だった。「1軍は先輩ばかり」といつも萎縮していた。話し相手がいない者同士、気づけば距離が縮まった。仲を取り持ってくれた繁昌良司カメラマンと一緒に球団誌で川﨑の連載ページも担当させてもらった。それは一旦ホークスを離れる2011年まで続けた。

 女性ファンから絶大な人気を誇ったが、初めの頃は「なんでこんなにキャーキャー言われるんだろう」と首をすくめていた。また、当時ファイターズでスターだった新庄剛志が二塁打を放った際に「君、いいバッティングしてるねって褒められたんだ」と嬉しそうに語っていたのも、若かりし頃ならではのエピソードだ。そういえば「新庄さん、グラウンドでもいい匂いをさせてるんだよ。あんな選手初めて。なんの香水だろ」と笑っていたのも懐かしい。

 プロ7年目、第1回のWBCで代表戦士として戦ったあたりからスター選手としての風格も増したし、彼のキャラクターも一気に突きぬけた感がある。少年時代から憧れだったイチローと急接近できたことが大きかったのかもしれない。

「ストレスのない人生なんてくそくらえ」

 2012年に「イチローさんと一緒にプレーをしたい」と言ってアメリカにわたって以降、持ち前の底抜けな明るさが全米を驚かせた。ただ、マイナー生活も長く、苦労は常に絶えなかったようで、500円玉ほどの大きさの円形脱毛症になったと言ってその跡を見せてくれたことがあった。

「でもね、ストレスのない人生なんてくそくらえだよ!」

 昨年、日本に帰ってきてからも「Have Fun!(楽しもう)」「ハッピーホルモン」などのムネリン節で、ベンチでもロッカーでも盛り上げ役を買って出た。

 みんなに愛されるムネリンはいつもテンションが高かった。

 ただ、川﨑宗則自身は、ちょっと疲れが出てしまったのだろう。

 かすかでも、確実に前進。川﨑が若手時代に座右の銘にしていた言葉だ。少しでもいい。ゆっくりでもいい。前へ進むのならば、また我々野球ファンは川﨑宗則と再会できる日が必ず来るはずだ。

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