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梶原 紀章
2018/03/30

ロッテ・清水直行が語る「忘れられない2005年の開幕戦」

文春野球コラム ペナントレース2018

 今も忘れられない開幕戦がある。2005年3月26日。千葉マリンスタジアム(現ZOZOマリンスタジアム)にて行われた東北楽天ゴールデンイーグルスとの開幕戦だ。色々な想いが交錯したオープニングゲームだった。相手は04年の近鉄、オリックスの合併騒動に端を発して誕生した新球団。日本中の注目は仙台に誕生した新しいプロ野球チームの初陣に絞られているようであった。ただ、マリーンズも黙って迎え入れたわけではない。96年以来となる本拠地開幕戦。負けじと盛り上げた。

 今やすっかり球団の名物の一つとなった交流戦挑発ポスターがスタートしたのはこの時。マスコミの注目を一身に浴びる相手球団をポスターの文言で挑発するという異例の行為に打って出た。「東北に春が来るのは、おそい」。「地元ファンのためにも、初勝利はぜひ仙台でどうぞ」。「パ・リーグの主役、3月までご苦労様でした」などなど。そして選手も独自のアイデアを繰り出した。象徴的だったのはエースの清水直行投手(現投手コーチ)。なんとライトスタンドのコールとトランペットが奏でるメロディーに合わせてマウンドまでタオルを回しながら上がったのだ。

「あの時は球団もいろいろな新しい事にチャレンジをしていた。自分たち選手もそのパワーにノセられたような形だった。せっかくだから、ファンと一つになれるような時間に出来ればと思って考えた企画だよね」

マリーンズで過去4度の開幕投手を務めた清水直行 ©梶原紀章

 長い年月が過ぎた。あの日、2年連続で開幕投手を務めたエースも42歳。今年から一軍ブルペン担当の投手コーチとしてチームに戻ってきた。「あれをやったことが正解かどうかは正直、分からない。一つだけ言えることはタオルを回しながらマウンドに上がった投手は後にも先にもいないってことだよね」。若い投手陣の練習を見つめながら遠い昔を振り返り、フフフフと笑った。あれからだいぶ変わった。首脳陣が代わり、選手も様変わりした。球団職員もほとんど入れ替わった。照明はLEDに変わり、人工芝も2度、張り替えた。「メジャーのような球場作り」をテーマに04年から推進されたボールパーク化計画は今もまだ夢の途中。それでも色々な人の想いと共に年々、進化をし続け、だいぶ形は出来てきた。

「あの日、勝てへんかったからなあ。でも、あの開幕戦、いろいろなセレモニーからも球団の人のなにかを変えたいという気持ちはヒシヒシと選手に伝わっていた。だから開幕は負けたけど、結果的に日本一になった。忘れられない開幕戦やね」

 清水は最終的に4度、マリーンズで開幕投手を務めた。04年に松坂大輔(当時ライオンズ)と投げ合い、勝った。05年は岩隈久志(当時イーグルス)。07年はダルビッシュ有(当時ファイターズ)で引き分け。そして09年は涌井秀章(当時ライオンズ)で負け。日本球界が誇る名だたる投手たちとの投げ合いはどれも印象深いが、それでも1-3で負け投手となったあの05年がもっとも心に残る。

「本当は開幕はビジターだった。だけど本拠地開幕候補のオリックスと近鉄の2チームが合併したことによって繰り上げで本拠地開幕が巡ってきたという不思議な縁があった。自分にとっても初めてのホーム開幕。いつもはホテルから球場入りしていたのにホームだから自宅から車で球場入り。初めての感覚に気持ちが高ぶった。緊張したし、責任も感じたよね」