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ドラ1から打撃投手に 中日・野村亮介が体験したもう一つの「開幕1軍」

文春野球コラム ペナントレース2018

2018/04/07

 あのマツダスタジアムがその日は閑散としていた。「お目当ての選手がいなくなったからだと思います。僕が投げる頃はガラガラでした」。長身の右腕はそう振り返った。

 2017年11月15日。12球団合同トライアウト。自由契約となった選手たちの敗者復活オーディションだ。「僕は現役に戻ろうとは思っていませんでした。最後くらい自分らしく投げたい。妻に投げる姿を初めて見せたい。その2つが目的でした」。彼には引退セレモニーだった。

 しかし、野球の神様は残酷なシナリオを書く。こともあろうに彼は特大ホームランを浴びたのだ。「もうマウンドで笑えました。悔しいわけでも情けないわけでもない。これが僕なんだと」。

 ドラ1トリオ。中日ファンなら必ず耳にし、口にした言葉だ。いずれもドラフト1位で入団した柳裕也、鈴木翔太、小笠原慎之介の3人のことである。小笠原は球団史上最年少開幕投手を務めた。柳はホーム開幕戦のマウンドに立った。鈴木翔は来る登板に向けて静かに牙を磨いでいる。全員、背番号は10番台。球団の期待も大きい。

 新人の鈴木博志もドラフト1位。プロ初登板で記録した155キロに夢が膨らむ。2軍スタートに甘んじたものの、吉見一起と大野雄大もドラフト1位(吉見は希望枠)だ。2人は厳しいプロの世界で実績を残している。野手も見逃せない。平田良介、堂上直倫、高橋周平など中日のドラフト1位はチームに欠かせないピースとなっている。

 そんな輝かしいドラ1の系譜に名を刻むことなく、去年ユニホームを脱いだ男がいる。野村亮介だ。引退の日に被弾したのは彼である。

今季から打撃投手を務めている14年ドラ1入団の野村亮介

エースナンバー「20」を背負った3年間

 2014年のドラフト会議。中日は亜細亜大学の山﨑康晃(現DeNA)を指名すると思われた。しかし、蓋を開けてみれば、三菱日立パワーシステムズ横浜の野村を一本釣り。落合博満GMの奇策かと周囲を驚かせた。「まさか1位はないと思っていたので、びっくりしました」と野村。ドラフト直後の取材でも歓喜と困惑が同居する表情だった。

 そんな野村に用意された背番号は20。杉下茂、星野仙一、小松辰雄など錚々たる右腕が付けてきた中日のエースナンバーだ。球団の期待は絶大だった。

 開幕は2軍。その後、何とか結果を残し、チャンスが訪れた。初の1軍マウンド。しかし、いきなり1イニング3失点。3試合0勝0敗。防御率10.13。結局、1年目で残したこの数字がプロで残した爪痕だ。

「野村は上を向いて投げている。これでは制球が定まらない」。様々な解説者がそう分析した。不調の原因はフォームにあると。実際、首脳陣からも修正を求められた。「自分では普通に投げているつもりですが、後で映像を見ると、あごが上がって、確かに上を向いています。しかし、幼い頃からこの投げ方なので、どうしても直りませんでした」。野村はやがて投げ方を見失う。

 去年の10月3日、戦力外通告を受けた。覚悟はできていた。球団は打撃投手の仕事を用意。しかし、「トライアウトは受けたい」と告げた。そして、生まれて初めてのマツダスタジアムで現役生活にピリオドを打った。20番を背負ったのはわずか3年だった。