文春オンライン

「手の届かないところにある問題はどうにもならない」件について

酸っぱい葡萄は見ているほかない

2018/03/29

優れた人が、なぜ問題ある方法で対処しなければならなかったか

 でも、佐川さんってそんなに悪党なんですかね。いままで財務省に限らずいろんな役所が動いているシステムの中で、ただ現状の辻褄を合わせるために苦労して対応してきた責任者の一人にすぎないんじゃないかと思うわけであります。まるで霞が関全体の問題を佐川さん一人におっ被せて国会でぶん殴って終わり、刑事訴追もされるかもしれないってことで、彼一人がドボンしてさようなら、っていうのは悲しい話じゃないですか。そんな責任を取らされるためだけに役人としてのキャリアを築き、人生を捧げてきたわけじゃないでしょうし、むしろ「優れた人が、なぜそのような問題ある方法で対処しなければならなかったか」にもう少し目を向けておくべきだと思います。

証人喚問を受ける佐川宣寿氏 ©杉山拓也/文藝春秋

 つまりは、我が国の霞が関も、戦時中と同じく大事な人材をどこに使うのか、どうやって人材を守り、意味のある活動に従事させるのかをあまりきちんと考えてこなかったのではないかと思うのです。国内問題への対処に汲々として、日本全体の安全保障に深い関わりのあるはずの北朝鮮問題について、以前からコミットし続けているはずが、実際には然るべき信頼関係を北朝鮮だけでなくアメリカとも中国とも韓国とも築き上げることができていなかった、日本がその地域にいるに相応しい敬意も役割も存在感も持てていないように見えるのは非常に残念なことであります。

「手の届かない酸っぱい葡萄」

 そのためには、やはり国内の組織において「優秀な人を使い捨てる霞が関」とか「たまたま地雷を踏んだ担当者だけが詰め腹を切らされる人事」などは、改めたほうがいいんじゃないかと感じるんですよね。皮肉なことですが、日本国内向けの課題に取り組めば取り組むほど、日本は優秀な人材を内向きに使ってしまって、身動きが取れなくなるんじゃないかと思うんですよ。どちらにせよ、北朝鮮問題において日本にできることが少ないために、拉致被害家族の問題はいまだ解決せず、北朝鮮からのサイバー攻撃も充分に防ぐことができていないうえ、経済的にも公式には切り離されているので、北朝鮮に対話によって譲歩を求めることもできません。日本が北朝鮮をどうにかしようというのは、イソップ童話における「手の届かない酸っぱい葡萄」なのであって、本当にどうにかしようと思うのならば、政治家も霞が関も財界も国民もどう解決させるのか道筋を考えなければならない状況なんだろうと感じますね。

ADVERTISEMENT

©釜谷洋史/文藝春秋

 酸っぱい葡萄に手が届かない安倍晋三総理が、このたびの中朝会談について語った言葉はこれであります。

「北朝鮮への圧力を最大限まで高めるわが国の方針を、国際社会の方針にするためにリーダーシップを取ってきた結果だ」

 ああ、うん。まあそうだね。はい。

「手の届かないところにある問題はどうにもならない」件について

X(旧Twitter)をフォローして最新記事をいち早く読もう

文春オンラインをフォロー