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童貞少年になりきって大江健三郎を読む――犬山紙子「むらむら読書」

2018/04/07
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 1981年生まれの私が思春期の頃に読んでいた小説は、現代小説がメインだったこともあり性描写が普通にあることが結構多く、別段ありがたみを感じるわけではありませんでした。特に男性作家の描く性描写は痛そうで、読み飛ばしていた記憶があります。

©犬山紙子

 1966年生まれの男性編集者Wさんは、思春期に読んでいた芥川龍之介や夏目漱石などに性描写があることは少なかったそうで。そんな中、高校一年生の時「これおもしろいよ」と友人に渡された大江健三郎の小説の生々しい性描写に夢中になったといいます。

 そこからW少年は大江健三郎の小説を読み漁るのですが、中でも『個人的な体験』の性描写が頭について離れない。脳に障がいのある息子が産まれ、そもそもアフリカに行くことを夢想しているような自由を欲するアル中の主人公がそれをどう受け止めてゆくのかというストーリーですが、そこで愛人とのセックスが登場するわけです。

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「妊娠、赤ちゃんを思い出させられるとインポテンツになるようになった主人公が、愛人の火見子とアナルセックスをすることによって克服していくシーンがあるのだけど、その描写が見事で」

 ……もうその設定だけで私は腹が立つのですが、しかたない、思春期の頃「痛そう」と思って飛ばして読んでいた『個人的な体験』を読み返してみることに。

 私が私のまま読むとやはり感想は「痛そう」「なんで既婚者のこんな欲求を体を傷つけながら母のように包まなければいけないのか、ふざけんなよ」と怒りが湧いてしまうので、心に童貞W少年を召喚しイタコ読みをスタート。

 普段少年である自分を相手にもしないような女が自分のために身を差し出し、彼女を気遣うこともせずに傷つけながらただ欲望をぶつけ、ナルシスティックな喜びを感じる。そして罪悪感を感じた頃に優しく包んでもらう。

「おれは、ありとある最も卑劣なことをやってのけられる人間だ。おれは恥のかたまりだ、おれのペニスがいまふれている熱いかたまりこそがおれだ」

 すごい。暴走しているとも思える描写は、成長するにつれ理性で蓋をしていた、ひどく幼稚で原始的な喜びを頭の中で花開かせる。実際に誰かがそんな目にはあっていない、そんな演技もしていない、誰かが自分を裏切らない、妄想だけで完結するからこそ、活字だからこその魅力だろう。

「そりゃ夢中になるなあ」と思いつつ「これの男女逆バージョンって白馬の王子様なのかね?」と少女漫画に手を伸ばすのです。

童貞少年になりきって大江健三郎を読む――犬山紙子「むらむら読書」

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