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こんな時代に地方の美大が生き残るための方法――東北芸工大学長・中山ダイスケの考え

アーティストであり学長、中山ダイスケが語る #2

2018/04/30
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ローカルである強みとは

――いまや、特色ある大学しか生き残れない時代に入りました。

 文科省は、グローバルかローカルかって大学を2つに分けようとしてますけど、本学は積極的にローカルを選択したいと思っています。背伸びして全国から学生を集めてくる必要はありません。グローバルを謳い、無理やり留学生を集めて、何もかも英語にすることが国際化だとは決して思いません。

 むしろ東北に誇りを持って、この地域に愛情のある人たちが沢山必要です。そこに加えて、この地域で実験してみたいことを持った意欲の高い学生が集まることが理想です。そんな学生たちが混ざり合い、東北の小さな街で、古き東北の縄文文化にルーツを学びながら、最新の技術と学問を駆使して、とびっきり新しい未来の世界を創っていく。そんなローカル視点からグローバルな志向が自然に生み出される、コアな大学でありたいと思うのです。

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 クリエイティブな人材を一部の業界のためではなく、社会全体のために輩出するという本学の建学理念に向き合い、あるべき姿に戻す。すなわちそれが世界を考えるということです。自分自身が海外に長く住んで、グローバルとローカルとはそういうものだと実感しています。

東京と山形を往復する日々 ©杉山拓也/文藝春秋

――社会や街とのリアルなつながり、そして地方性にひとつの活路を見出しているわけですね。

 リアルということで言えば、生きた教育というか、たったいま現役で活躍している方々が教員になっているのも特徴です。デザイン工学部に関して言えば、ほぼ100%の教員が現役で活躍している人たち。僕が武蔵美(武蔵野美術大学)の学生だった頃は、常勤の教授たちはすでに現役を退いた方々だった。その先生方が現役のデザイナーを時々ゲストで呼んでくるという感じで。それはそれで刺激的だったんですが、いま、うちの大学にいる先生の多くは現役で、実際にいま自分で手を動かしている人ばかりです。実は、これは芸大美大の世界では珍しいことです。普通は引退してからじゃないと、教育に時間は割けないものですから。

 たとえば、幸せなアイディアや企画で社会を考えるという企画構想学科は、小山薫堂氏とつくったものです。あるいは、コミュニティデザイン学科は、建物を建てない建築家と言われている山崎亮氏とつくりました。山崎氏は、暮らし方や人の関わり方をデザインする人で、全国各地の地域復興に学生たちと取り組んでいます。これら2学科は、うちの大学の特色であるモノではなく「コトをデザインする」主力学系です。

 最近では、映像学科には資生堂のクリエーティブディレクターだった山本コージ氏が新たに加わりましたし、映画監督の林海象氏はいつも学生と映画を撮っています。そもそも前学長で新理事長である根岸吉太郎氏も映画監督で、学長が私のようなクリエイター。みんないつも学生達と忙しく動き回っています。

 このように、本学の教員はご自身のお仕事の定年を迎えてから大学にいらっしゃるのではなく、大学や学生、山形という場を使って新しいことを始めようとする現役のプロクリエイターばかりです。

 芸大美大の世界では、東北芸工大の教員になる基準がとても高いことは知られています。その上、採用されたら教室外の演習や案件も多すぎて、とても忙しくなります。実戦経験が豊富で視野の広いプロのクリエイターでなければ、教育成果を出すのは難しいでしょう。

「日本パッケージデザイン大賞 2017」で金賞を受賞した「熊本県植木町産 大将すいか」のパッケージ ©杉山拓也/文藝春秋

アートは謎めいたものではいけない

――現役で活躍している人たちが先生として来れば、より社会との関係も密接になる。デザインやアートがひとりよがりのものにならないですよね。

 そうです。それは、何も大学だからじゃなくて、自分がプロのアーティストとしてずっと感じていたことです。

 たとえば、若い作家が個展を開くとする。日本ではお客さんからの反応は静かで抽象的です。作家のほうもなんだか謎めいたタイトルをつけて、お互いが本質には触れようとしない。作家も「観る人に委ねたい」なんて言っちゃって(笑)。そこには、何も批評が生まれませんし、価値は定まりません。

 でも、ニューヨークで個展をやったら、もう、見に来た人からどんどん訊かれる。自分の作品を論じて、相手と、観客と、誠実にバトルできなきゃいけない。そこでこちらがきちんと語れなかったら、もうアマチュアなんです。そんなやりとりを経て、批評家から「お前のアートには価値がある」と評価され、さらに上のランクの展覧会に呼ばれるわけです。そういうシーンに何回も出くわしました。アートもちゃんと社会とかかわってなくてはダメで、最終的には、その価値を判断するのは他人、つまりクリエイティブの価値とは常に他者評価であることを、学生にちゃんと教えられるプロでなければ本学の教員にはなれません。

取材は東京都内にある中山さんの事務所で行った ©杉山拓也/文藝春秋

 アートと同じように、大学そのものが地域に理解されなければならず、その価値を地元の人々に評価してもらわなければなりません。本学は、こんな時流でも幸い安定した入学者数をキープできていますし、進路の内定率は国内の芸大美大の中ではトップでしょう(デザイン工学部98.2% 芸術学部92.7%)。

 しかし、そんな数字は単なる大学の「性能」のようなもので、本来の「価値」だとは思っていません。

 大学は学生のためだけにあるのではなく、その教育環境を構成してくださっている地域の一部です。我々は常に街や社会に対して語り続け、大学はその地域の豊かさの要因にならなければならない。地域に求められなければ、うちのような地方の小さな芸術大学には価値はないと考えています。学生に混ざって、地域の人々も学びに来てくれるような、そんな芸大にしたいと思っています。

こんな時代に地方の美大が生き残るための方法――東北芸工大学長・中山ダイスケの考え

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