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連載高野秀行のヘンな食べもの

高野 秀行
2018/04/10

ついに「口噛み酒」を日本に持ち帰った!――高野秀行のヘンな食べもの

※前回「リアル“口噛み酒”の凄まじい迫力」より続く

イラスト 小幡彩貴

 アマゾンの口噛み酒の続き。さんざん噛んで吐いて、仕込みは完了したが、問題はこの後だ。

 万事に付けて計画性のない私は、噛んだイモが酒に発酵する時間をまるで考慮していなかった。他の取材にも時間をとられており、明日にはここを発ってアンデス山地のクスコに戻らなければいけなかった。

 やむをえず、町でプラスチック容器を二個買い求め、二種類のイモ・ペーストを詰めた。発酵させながら旅を続けるのだ。

 テオフィラさんによれば、「三日目から飲める」とのことだが、それはあくまで高温多湿のアマゾンでの話。標高三千メートル以上のアンデスでは、一日の平均気温はここより十五度以上低く、湿度も気圧も低い。要は環境が全然ちがうのだ。

 二つの容器を別々にビニール袋で厳重に包み、丸一日かけて三千数百メートルをバスで登って、クスコに戻ったが、仕込んでから三日が経っても、少しピリッときただけで酒からはほど遠い。というより、ピリッときたのは腐敗の刺激じゃないのか。私の不安ばかりが発酵していく。結局、クスコ滞在でも発酵せず、首都リマまで飛行機で持ち帰ったが、イモのペーストは若干酸っぱさが増しただけ。そして帰国日を迎えた。

 なんとこの正体不明な唾液ペーストを日本に持ち帰ることになってしまった。おそらくアマゾンの口噛み酒が太平洋を越えたのは史上初であろう。もっともまだ酒じゃないし、これから酒になるかどうかもわからないのだが。

 十八時間後、成田空港に到着。税関で申告すべきかどうか考えたが、まだ酒ではないし、かといって、生ものを持ち込んでいるわけでもないので(イモは調理済みだ)、必要ないと判断し、そのまま自宅に持ち帰った。ビニール袋を開けると、気圧の変化で、容器が爆発し、唾液ペーストが袋いっぱいに飛び散っていた。慌ててスプーンと手でそれをかき集めた。「何それ?」と妻が訝しげに訊くので、「アマゾンのおばさんがイモをぐちゃぐちゃ噛みまくったもの」と簡潔に説明すると、心底嫌な顔をされたが、気にしないようにして、冷蔵庫にしまい、日中はベランダに置いて日に当てた。なんだか、生き物を育てているようだ。

 私の献身的な世話のおかげか、だんだん酒粕のような甘い香りがしてきた。とくにサトウキビで仕込んだ方が匂いが強い。でも、味はヨーグルトからあまり進化していないように感じる。ただ、腐敗ではなく乳酸発酵が進んでいるのは間違いなさそうだ。イモ・ヨーグルトになっただけかもしれないが、せっかくなので試飲会を行うことにした。

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