文春オンライン
たけし独立騒動で考える「天才の相棒」という才能

たけし独立騒動で考える「天才の相棒」という才能

世界の北野が、足立区のたけしに戻れるとき

2018/04/07
note

「俺は、横山やすしさんが死んだときに(新聞の見出しなどで)『天才やすし死ぬ』って書いてあって、ものすごい文句を付けた。(略)やすしさんが本当に天才だったら、1回目の相方で売れてなきゃおかしいだろ。なんで5~6回も変えたんだ。それは(西川)きよしさんがいたからだよ」(注1)。ビートたけしによる、天才論であり、相方論である。

たけしと森社長の、そもそもの出会いとは?

 そのたけしが、オフィス北野の社長であり、「北野映画」のプロデューサーである森昌行と訣別した。スポニチが「たけし独立」を報じたのは3月14日のこと。たけしがたけしの事務所を辞めるという奇妙な出来事は、当初、愛人とされる女性による「洗脳」が引き起こしたと報じられもしたが、4月に入ると「たけし軍団」の「声明」によってそれは打ち消される。

スポニチが「たけし独立」を報じたのは3月14日のこと ©文藝春秋

ADVERTISEMENT

 たけしのビジネスパートナーであった森社長は、もともとテレビ番組の制作会社の社員であった。デンセンマンの中のひとでもあったことはお馴染みのエピソードである。そして、たけしが司会の番組「アイドルパンチ」(テレ朝82-83年)のスタッフとなったことで、ふたりは出会う。しかし特に親密になるわけでもなかったそうだ(注2)。