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「新型うつ病」を叩いた人たちの認識不足――「うつ」に関する10の誤解 7・8

與那覇 潤『知性は死なない』より特別公開

2018/04/15

genre : ライフ, 医療, 読書

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遺伝の影響は、想像されるよりもはるかに低い

 さらに研究が進むと、単一の「統合失調症をもたらす遺伝子」なるものは存在せず、最低でも2つ以上の遺伝子変異の組みあわせが、「発症しやすい体質」に関係していることがわかってきました。そして、かりに2つの遺伝子変異で決まっているとしたばあい、最低でも片方の変異をもっている人の割合は、全人口の30%と推定されています(23)。もし3つ、4つといった変異がかかわっているなら、当然この比率はもっと高まる。

 統合失調症に関係する遺伝子を持っているのは、むしろごくふつうのことで、なんらかのはずみでたまたま発症するか、しないかのちがいがあるだけなのです。(24)

©iStock.com

 遺伝の影響がより強いともいわれる、双極性障害(躁うつ病)はどうでしょうか。2007年の研究によると、双極性障害になるリスクを2倍以上に高める遺伝子は、おそらく存在しないと指摘されています。関節リウマチや2型糖尿病で発見されるような「遺伝的危険因子」が、大規模なサンプル調査をしても見出されなかったのです。(25)

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「うちの家族はリウマチ持ちだから、自分もリウマチで」と聞いたところで、リウマチを遺伝病としておそれる人はほぼいないと思いますが、それとくらべても躁うつ病は、じつは「遺伝しない」病気なのです。躁や軽躁をともなわない、単極性の大うつ病(いわゆるふつうのうつ病)となると、遺伝的な因子が関与する割合は、双極性障害のさらに半分程度で、パニック障害よりも低いとされています。(26)

「自分は親戚にもうつ病が多くて」という話を聞いて、「やっぱりうつって遺伝するんだ」と考えるのは完全な早とちりであり、まして「この人は病気の家系なんだ」などときめつけるとしたら、明白な人権侵害になります。

 自身が躁うつ病をわずらう女性精神科医であるケイ・ジャミソンは、ほかの医師に「躁うつ病は遺伝するから、あなたは子どもを産むべきではない」と告げられた際、「ゴー・トゥ・ヘル(地獄に堕ちろ)」と言い返して診察室を出たことを、苦痛をこめて回想しています(27)。彼女も触れているように、躁うつ病の治療薬である炭酸リチウムは催奇形性があるとされており、妊娠中の服用は推奨されていません。

 しかしそれでも、病気を理由に子どもをつくる権利を奪うことは許されないというのが、戦前の優生学にたいする反省を踏まえた、こんにちの欧米の人権感覚です。ましてや、そもそも遺伝の影響が想定よりはるかに低いことがわかってきた現在、「精神病者は親戚の恥」という発想こそが、ほんとうに恥ずかしいことだと思えてなりません。

―――

(22)岡田尊司『統合失調症 その新たなる真実』PHP新書、2010年、156頁。
(23)岡田尊司『統合失調症 その新たなる真実』PHP新書、2010年、157~158頁。
(24)私が病棟で知りあった友人には、新聞に掲載された震災の犠牲者の名前が、たまたま家族と一致していた(実際は別人)ことから、統合失調症を発症された方もいます。
(25)加藤忠史『双極性障害 躁うつ病への対処と治療』ちくま新書、2009年、192~193頁。
(26)岡田尊司『うつと気分障害』幻冬舎新書、2010年、142頁。
(27)K・ジャミソン『躁うつ病を生きる わたしはこの残酷で魅惑的な病気を愛せるか?』新曜社(田中啓子訳)、1998年、207~209頁。

與那覇 潤(よなは・じゅん)

1979年生。東京大学教養学部卒業、同大学院総合文化研究科博士課程をへて、2007年から15年まで地方公立大学准教授として教鞭をとる。博士(学術)。在職時の講義録に『中国化する日本』(文春文庫)、『日本人はなぜ存在するか』(集英社文庫、近刊)。その他の著作に『翻訳の政治学』(岩波書店)、『帝国の残影』(NTT出版)など。

次回「うつ」に関する10の誤解 9・10

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