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気がつけば野党第一党NO2
江田憲司の“乗っ取り”人生

source : 週刊文春 2016年4月7日号

genre : ニュース, 政治

代行がとれる日も近い!?
Photo:Kyodo

 国民的歓呼のまったくない中で発足した新党・民進党の代表代行に江田憲司氏(59)が就任した。執行部で唯一人の非民主党だ。

「私より松野さんが適任です」

「松野さんはやらないと言っている。君しかいないだろう」

 江田氏は民進党結党にあたり、岡田克也代表とこんな押し問答を繰り返した。維新の党代表だった松野頼久氏は民主党を除籍の形で離党しており、「どのツラ下げて戻って来るのか」との党内感情に配慮し、岡田氏の要請を固辞した。ようやく江田氏が「引き受けた以上は、しっかりやる」と応じたのは結党2日前の3月25日。

 江田氏をよく知る自民党幹部が語る。

「茶番だよ。江田は最初から自分に代表代行が来る、と思ってたんだ。ホントに嫌なら最後まで断り続ければいい」

 それもそのはず。江田氏は通産官僚の時、故橋本龍太郎元首相の秘書官となり、「官邸の森蘭丸」といわれるほどの権勢を誇った。

 ただ、沖縄の米軍普天間基地返還や、行政改革など橋本政権の業績を、秘書官として手助けしただけにもかかわらず「私が手掛けた」と語る「オレ様」ぶりには、敵も少なくなかった。

 政界に進出したのは、2000年。自民党公認で衆院選に出馬したが落選。あっさり自民党に見切りをつけ、02年の衆院補選で無所属として初当選するも、翌年はまた苦汁を嘗めた。05年、無所属で雪辱を果たすと09年には渡辺喜美氏と「みんなの党」を5人で結党する。

「みんなの党は、創設者で金主だった渡辺氏の人望がないため、気がつけば江田氏が大きな顔をするようになった」(永田町関係者)

 江田氏は、みんなの党から10人以上を連れて「結いの党」を結党、小政党ながら党首に。続いて橋下徹氏と合流して維新の党に参加すると、野党第二党の党首に。そして、維新が分裂し、少数政党に転落すると、すぐさま民主党と合流し、ついに野党第一党のナンバーツーに到達した。

「政界の“渡り鳥”と言われた政治家は少なくないが、江田氏はよく言えば“わらしべ長者”、悪く言えば“乗っ取り屋”」(民主党議員)

 内輪揉めでは定評があった民主党。岡田代表の任期は9月で切れる。民進党が乗っ取られる日も近い?