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50歳になった小沢健二はどこへ向かうのか

「空白の20年」がもたらしたもの

2018/04/14

 ミュージシャンの小沢健二は、きょう4月14日、50歳の誕生日を迎えた。1998年にニューヨークに移住して以来、メディアにほとんど登場しない時期が続いていた小沢だが、昨年(2017年)2月、19年ぶりにCDシングル「流動体について」をリリースし、本格的に活動を再開した。このあと、夏にはフジロックフェスティバルに出演、さらに9月にはSEKAI NO OWARIとのコラボシングル「フクロウの声が聞こえる」と、絵童話『アイスクリームが溶けてしまう前に(家族のハロウィーンのための連作)』(「小沢健二と日米恐怖学会」名義、福音館書店)を発表。今年に入ってからも、2月に『ミュージックステーション』(テレビ朝日)で、女優の満島ひかりと往年のヒット曲「ラブリー」をデュエットしたことは記憶に新しい。

1995年の小沢健二

 とはいえ、日本を離れ、表立った活動がほとんどなくなっていた約20年間の「空白期」は、実際にはかなり濃密なものであったようだ。映画・音楽ジャーナリストの宇野維正が昨年著した『小沢健二の帰還』(岩波書店)の記述にしたがえば、小沢はこの間、ニューヨークやマイアミの名門スタジオに現地の腕利きのミュージシャンを集めて、ブラック・ミュージックに接近した作品やインストゥルメンタル作品を手がけたかと思えば、中南米の民衆たちの姿を収めた旅日記のような長編映画『おばさんたちが案内する未来の世界 Old Ladies' Guide to the Future』の上映会を日本各地で開いたりもした。また、2005年からは雑誌『子どもと昔話』で「うさぎ!」と題する童話を連載するなど、文才も発揮する一方、2010年の13年ぶりの全国ツアー以来、ここ数年はライブも繰り返し行なっている。

1996年の武道館でのライブ。その2年後の98年、オザケンは突然日本における活動休止を宣言した

親になったオザケンが語った“文化のこと”

 昨年の新曲リリースにあたっては、『朝日新聞』に新聞記事風の全面広告を掲載、小沢は「アンキパンの秘密」や「ビバ!ガラパゴス」と題したモノローグの連作を寄稿した。そこではアメリカには日本のような食パンはないという話から、「ガラパゴス」とも呼ばれる日本の文化に話題がおよび、終わりの「遠い起源」には、次のように、歴史や文化の連続性が親子の関係になぞらえながら語られていた。

《その[引用者注――歴史や文化の]、ものすごく長い時間は、僕らを愛し、支える。そして、その愛し方、支え方は、僕らの鼻についたり、腹の立つ原因になったりもするだろう。

 それは、いつか僕が息子たちにとって鼻についたり、腹の立つ原因になったりするのと同じ(数年後には「超むかつく」とか言われるわけで)。でも、両親が僕に、両親の両親が彼らに、僕が子どもたちに、愛を抱き、支えを誓っていることは疑いがない。あなたの両親や、あなたの場合も同じだろう》(『朝日新聞』2017年2月21日付)

朝日新聞 2017年2月21日朝刊。記事風の全面広告には「アンキパンの秘密」を筆頭にモノローグの連作が

 機知に富みながら、子を持つ親ならではの温かさも感じさせる文章だ。ちなみに前出の童話「うさぎ!」の掲載誌『子どもと昔話』は、彼の父でドイツ文学者の小澤俊夫が発行する雑誌であり、また、母で臨床心理学者の小沢牧子が運営にかかわる日本社会臨床学会の発行する『社会臨床雑誌』にも、小沢は2007年に「企業的な社会、セラピー的な社会」という論文を寄稿している。彼にとって両親との関係は、文化の連続性そのものだともいえる。

 思えば、歴史や文化が、また親・子供が連続しているのと同じく、個人もまた、たとえ途中で活動を休止したとしても、どこかで連綿とつながっている。そのことはほかならぬ小沢の歩みが証明しているのではないか。20年のあいだに培われたものをもとに、彼がどんな展開を見せてくれるのか、今後も目が離せない。