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創価学会「極秘資料」が暴く負の歴史

そこには「反戦・平和の団体」とはかけ離れた事実が記されていた

2018/05/03

 創価学会における絶対権力の空白は早8年に及ぼうとしている。半世紀以上にわたり巨大教団を率いてきた池田大作名誉会長は1月に卒寿を迎えたが、年に数回、『聖教新聞』に近影が掲載されるだけで、公の前に姿を見せなくなって久しい。2010年5月の本部幹部会の後、脳梗塞で倒れたというのが定説だ。大小様々な本部施設が蝟集する東京・信濃町の真ん中にひっそりと佇む第二別館にほぼ籠もりきりとされる。

一枚岩だったはずの組織に……

池田大作名誉会長 ©共同通信社

 この間、原田稔会長以下の集団指導体制により教団の運営は滞りなく行われてきたかに見える。が、カリスマ指導者の重石がなくなれば必然のこと、一皮剥けば、信濃町の内部では次期会長の座を巡る暗闘が繰り広げられ、一枚岩だったはずの組織に動揺を来しているのが実際だ。

「谷川佳樹主任副会長のラインが巻き返しに出たのかもしれない」

 1月下旬、ある本部人事が各方面を駆け巡り、憶測を呼んだ。副会長の岡部高弘氏が広報室長を突如外され、聖教新聞広告局の閑職に追いやられたのだ。遠因として囁かれているのは昨年9月の『週刊文春』記事である。報じられたのは復興副大臣も務める長沢広明・公明党参院議員の女性スキャンダルだった。組織政党にとって所属議員は単なる駒にすぎない。本人は雑誌発売前に早々と議員辞職した。

長沢議員のスキャンダルを報じた『週刊文春』記事

会長の権限はそれほど強くない

 創価学会・公明党にとって重大な意味を持っていたのは、長沢氏が佐藤浩副会長の一の子分で知られていたことである。佐藤氏は菅義偉官房長官と太いパイプを持つことで有名。信濃町の勢力図においては、事務総長として本部機構を取り仕切り次期会長候補の最右翼とされる谷川氏や、その後見人で隠然たる力を持つ弁護士グループのトップにある八尋頼雄副会長、前会長で最高指導会議議長を務める秋谷栄之助氏らとともに主流派と目されてきた。政治的には自公連立路線の旗振り役だ。

 現在の学会においては「会長の権限はそれほど強くない」(元本部職員)とされ、それがため主流派こそが組織を動かしてきたと言われる。記事は内部告発がなければ知り得ない内容だったが、その追及は長沢氏よりむしろ政治担当として絶大な影響力を握り続ける佐藤氏に向いていた観があった。

 そこで佐藤氏ら主流派が岡部氏の更迭に動いたというのが一つの見立てである。怒りの矛先が岡部氏に向かった理由は今ひとつ分からないが、もともと両者の折り合いは悪かったとも言われる。後任の広報室長となった長野祐樹氏は長く神奈川担当の副会長を務めこれまで広報とは無縁だが、佐藤氏と極めて近いことで知られる。そのことも更迭人事が主流派の強い意向によって行われたと見られる理由となっている。

 そして、さらにその背後にあるのが次期会長の座を巡る谷川氏と萩本直樹主任副会長との神経戦とも言える綱引きだ。創価学会には200人以上の副会長がいるとされるが、15年に新設された主任副会長ポストは8人に限られる。谷川、萩本両氏はその中でも一歩抜け出た。萩本氏の後見役は原田会長とされる。

 スキャンダル記事は主流派を牽制するものだっただけに、萩本氏を利するところがあった。おまけに年が明けた1月7日付の人事は両者の形勢逆転をも思わせるもの。谷川氏が壮年部長に回ったのに対し、萩本氏がそれより遥かに格上の総東京長となったからだ。そうしたこともあり、岡部氏の更迭人事は谷川氏ら主流派による主導権奪還の意味合いも見え隠れしていたのである。