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「駅弁大学」「恐妻」など数々の新語を生み出したマスコミの大家 大宅壮一ができ上がるまで(前編)

「駅弁大学」「恐妻」など数々の新語を生み出したマスコミの大家 大宅壮一ができ上がるまで(前編)

ユーモア溢れる文体で自身のマスコミ生活50年を振り返った

2018/05/06

source : 文藝春秋 1965年2月号

genre : ライフ, 働き方, メディア, 読書, テレビ・ラジオ, ライフスタイル

note

原稿を書きつぶすくらいなら真理のほうを捨てる

 後に高田保と知りあったとき、彼が原稿を書いているのをそばで見ていると、一行書いてはビリッと破く。一字書いては丸めてくずかごに放りこむ。ときには一字も書かないで破いて捨てる。妙な男も世の中にはいるものだ、とあきれて見ていたものだ。

パンにバターを塗る高田保氏 ©樋口進/文藝春秋

 それというのも、彼は大変な気分屋で、万年筆を原稿用紙の上に下すまでの気分の調整が非常にむずかしかったらしい。気分がのってくるまで原稿用紙を破るわけで、一つの原稿ができ上るまでには大変な量の原稿用紙を無駄にすることになった。

 これと反対に私は絶対に原稿用紙を無駄にしないといったが、私といえどもときには途中で考えが変って、これはいかん、という場合が起ってくる。前に書いたことが間違っているように思われてくるときがある。

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 しかし、私は高田保のようにそこで破いたりはしないで、とにかく一段落つく所まで書きつづけて、最後に「……こういう考え方もありますが、これは間違いである」とやって、それから正しいと思われる考え方を書いていく。これなら書き直しをすることはないわけである。だいたいこの方法で切り抜けてきた。それでも、真理を捨てるか、それとも書きつぶしをするかという二者択一のジレンマに追いこまれる場合もないことはない。そういう場合、私は真理の方を捨てると、常に放言しているのだ。

中学時代の大論文

 中学時代に書いた論文で、最も力を入れ、また最も長いものは、校長に提出した「私はなぜ一日おきに学校へ行くのか」というものだ。400字詰原稿用紙で30枚はあった。

 親父が亡くなった後、兄は兄で放蕩で身をもちくずしてほとんど家にいないので、商売は凡て私一人の身体にかぶさってきた。そうなると学校にもなかなか行けなくなり、商売をやめるか学校をやめるかどちらか一つを選ばなければならない所においこまれた。しかし簡単にどちらも捨てるわけにはいかない。

 このとき私は、一日おきに学校に行くという方法を考えついた。一日家の仕事をしたら次の日は学校へ行くのである。しばらくの間は、それでなんとかうまくごまかしていたのだが、ある日私は教科書を紛失した。運悪くその中には数カ月分の欠席届が入っていた。毎日欠席届を書くのがめんどうなので、先の分もまとめて書いておいたのだ。

「○月○日病気につき」「○月○日事故につき」と、いろいろもっともらしい理由を書いていた。

 拾ったやつがこの教科書をこともあろうに校長にとどけたものだから、校長はこのでたらめの欠席届を見てカンカンになって怒った。そこで一晩徹夜して「私はなぜ一日おきに学校へ行くのか」という大論文を書いた。

書斎で電話中の大宅氏 ©角田孝司/文藝春秋

 だいたいの内容はこうだ。――

「いま文部大臣(中橋徳五郎)は全国にむやみやたらに学校を建てるように指令しているが、学校を建てても、学校に行ける身分の者は非常に少ない。そんな無駄な金を使うよりも、全国の学校で全生徒を一日置きに登校させることにすれば、学校に行けない身分の者も、一日働いて一日は学校へ行くことができる。役所の給仕なら、半日働いて、半日学校へ行くという形をとれば、学校へ行く者の数は現在の施設、先生の数で倍にふやすことができる。これは日本にとって大きなプラスである。

 また、日本人は学校に通っている間は勉強をするが、卒業したとたんに勉強しなくなって、進歩がとまってしまう。これはまことに遺憾な風潮であって、大いなる損失である。働くということと勉強することの二つは、切り離すことのできないもので、これは人間の一生涯を通じてやるべきものである。この態度を身につけるためにも、一日働いて一日学校へ行くということは、大いに有益なる方法である。働きながら勉強するということには、このようなプラスがある」

 この論文を私は当時、博文館から出ていた「中学世界」という雑誌に投稿したところ、少しも削らずにそのまま掲載してくれた。そして非常に大きな反響があった。