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2018/04/30

国際社会でまったく人望のなかった日本

――経済力にナショナルプライドを求めたわけですね。

内田 そうです。ただの強欲ではないんです。お金儲けの先にあったのは国家主権の回復です。国際社会における威信の回復です。それが国民的悲願だった。ですから、その時期の経済活動には一本筋が通っていた。でも、バブル崩壊で「金で国家主権を買い戻す」という壮大なプランが破綻し、追い討ちをかけるように、2005年の国連安保理常任理事国入りにほとんど支持が集まらなかったというトラウマ的経験があって、日本人は一気に自信を失ってしまった。

――目標の100カ国支持には遠く及ばず、共同提案国は30カ国程度にとどまりました。

内田 アジアではブータンとモルディブとアフガニスタンの3国しか支持してくれなかった。日本はアジア、アフリカにODAをばらまいていましたから、それらの国々からはそれなりに信頼され、期待されていると思い込んでいたけれど、実はまったく人望がなかった。金はあるけれど、政治的にはただのアメリカの属国に過ぎないと思われていた。国際問題について日本に固有の見識なり、独自のビジョンがあるとは誰も思っていなかった。「日本が常任理事国になってもアメリカの票が一票増えるだけだから、意味がない」という指摘に、日本政府は一言も反論できなかった。戦後60年ひたすら対米従属に勤しむことで日本は国力をつけて、国際社会で重要なプレイヤーになったつもりでいたわけですけれど、まさに「ひたすら対米従属に勤しんできた」がゆえに、世界中のどこの国からも一人前の主権国家だとは思われなくなっていた。まことに悲劇的なことでした。

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 ここ十数年の日本の迷走は、このショックがずっと尾を引いているせいだと思います。92年のバブル崩壊で「金で国家主権を買い戻す」というプランが崩れ、2005年の常任理事国入りプランが水泡に帰して、経済大国としても、政治大国としても、国際社会の中で果たすべき仕事がなくなってしまった。

「失われた20年」と言いますけれど、日本が中国に抜かれて43年間維持してきた世界第2位の経済大国のポジションを失ったのは2010年のことです。バブル崩壊から20年近く、日本はそれでも世界第2位の金持ち国家だったんです。でも、その儲けた金をどのような国家的目標のために使うべきなのかが分からなくなってしまった。「腑抜け」のようになったビジネスマンの間から、「自分さえよければそれでいい。国のことなんか知るかよ」というタイプの「グローバリスト」が登場してきて、それがビジネスマンのデフォルトになって一層国力は衰微していった。それが今に至る流れだと思います。

――なるほど。