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2018/05/06

 60代から70代の患者が多いアルツハイマー型認知症とは違って、この認知症は80代以降の人に起こることが多いものです。特徴は、正常な状態と認知症の状態とを行ったり来たりすること。午前中はしっかりしているけれど、午後になって疲れてくると、認知症の症状が出てくる。80代、90代という、人生の晩節期に起こる認知症です。

 ただ、認知症の中では、ひどい症状を引き起こすものではありません。忘れ物はたくさんするけれども、一晩寝れば治ってしまう。毎日がその繰り返しです。だから、診断を受けたときも、そんなに心配しなくて良いだろうと考えました。

 認知症は、長生きすれば誰にでも起こり得ることです。だから、ありのままを受け入れるしか、仕方がありません。まずは、自分でできる範囲のことをやる。その上で、少しでも人の役に立つようなことができたら、それ以上嬉しいことはない――。そんなふうに考えながら、日々を送っています。

 自分が認知症になって初めて体験したことの1つは、週に1回、デイケアに通うようになったことです。私はこれまで、患者さんに「ケア職の人に接するのはとても良いことだから、週に1度や2度でもいいから行ってごらんなさい」と勧めてきました。それが、いまでは勧められる立場になったわけです。

 デイケアに通うようになって、まず驚いたのは、スタッフ一人ひとりが、利用者の情報をよく知っていることです。スタッフがそれぞれ何人かの利用者を受け持っている、というのではなく、スタッフ全員がみんなのことを把握している。こちらは馴染みのないスタッフでも、向こうは私のことをよく知っている。利用者としては、大きな安心感があります。

 それに、こちらが少しでもボーッとしていると、「長谷川さん、どうしたの? 何か困ったことでもある?」「ちょっとこっちへ来て、こんな体操をやってみない?」と、すぐさま声がかかります。すれ違ったときにも「長谷川さん、お昼ご飯は美味しかった?」とかね。

 簡単なゲームをする時間もあって、それがまた面白いものばかり。雰囲気は非常にゆったりとしていて、人と人とのつながりが温かい。デイケアというのは、すごいものだなと、本当に感心しました。

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恥さらしとされた認知症

 いま振り返れば、私はとても恵まれた境遇に置かれ、大いに学問的な刺激を受けてきました。

 私は1929年、愛知県の東春日井郡牛山村で生まれました。祖父は村の庄屋で、終戦のときには祖父の家の大きなラジオで、村の人たちと一緒に玉音放送を聞いたものです。

 戦後間もない1947年、私は東京慈恵会医科大学に入学し、そのまま精神神経科に入局しました。

 私は18歳のころにキリスト教を信仰するようになったのですが、当時はキリスト教徒であれば、1年に10人ずつ、全国から選ばれて留学することができました。私はその試験に受かって、アメリカの東海岸にあるセント・エリザベス病院という大きな精神病院に留学しました。

 当時の日本では、大きな病院といってもせいぜい700床でしたが、その病院は7000床。敷地面積はモナコ公国に匹敵するそうで、お医者さんが回診で別の病棟へ移動するのに、クルマに乗っていたのには驚かされました。そんなスケールの大きな病院で、私はとても刺激的な時間を過ごしました。

 その後、2度のアメリカ留学を経て、慈恵医大の医局長を務めていたころのことです。私は新福尚武教授と一緒に、東京都内の老人ホームの利用者を対象とした、健康調査をすることになりました。このとき、私は初めて認知症の方の診断をすることになったのです。まだ「認知症」という言葉が一般的ではなく、「痴呆」と呼ばれていた時代でした。