昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

かつては聖地、いま魔物、ドラゴンズにとって神宮球場とは

文春野球コラム ペナントレース2018

2018/05/11

 心地よい光景だった。神宮球場の三塁側ベンチから左翼ポール際の出口に至るファウルゾーンは、ビジターの選手たちにとって「天国への階段」にもなれば「地獄への回廊」にもなる。この日はまぎれもなく「天国」だった。

 5月1日のヤクルト戦。ドラにとって2018年の神宮球場初戦は、前日の松坂大輔の移籍後初勝利を受けて試合前から安堵感がこもった空気が漂い、遠征に帯同していた矢野球団社長も「本当に良かった。ホッとしたよ」と周囲に笑顔を振りまいていた。

 そんなリラックスムードで肩の力が抜けたのか。2点を追う8回、1死から5番福田の中前打を皮切りに高橋、平田も安打を連ねて1点差。今季打線の最大のネックとされていた不振トリオの3連打で秋吉をマウンドから引きずり降ろすと、代打藤井も石山から同点打を中前に放つ。さらに2死から大島が左翼越えの2点二塁打を決め、5安打集中で計4点。「最近のドラはいつも同点止まりなんだよなぁ」と半信半疑だったドラファンたちも“竜飲”を下げ、屋外球場での今季連敗を8で止めた。

 試合後は森監督も選手たちも、心地よさそうに三塁側内野席の前を歩いた。最終回に2死満塁のピンチを招いてヒヤヒヤさせた田島は、青木を遊ゴロに打ち取ってから笑顔が止まらず、ファンに手を大きく振りながら引き上げていった。

高木守道監督と味わった「地獄の光景」

 私が中日スポーツのドラ番だったころ、神宮球場にはこのようないい思い出があまりない。というか、いい思い出が記憶から呼び出せない。記者たちは試合後に監督や選手たちと一緒に内野席の前を歩きながら話を聞く。人間とは悪いイメージの記憶ばかりが残るといわれるが、その例にもれず、今でも耳に残るのは勝ち試合の歓声ではなく、敗戦後にファンたちが浴びせる罵声の数々だ。

 声だけならまだしも、液体が降ってくることもあった。惨敗後に当時の高木守道監督を取材しながら歩いていたら、内野席のファンに紙コップごと投げ付けられた。監督はもちろん記者たちも頭上から浴びる。「この野郎、こっちへ来い!」。短気な高木監督は紙コップを拾って投げ返すが、中身は既に入ってないためフェンスを越えることができず、悲しいかな足元にヒョロヒョロと力なく落ちてきた。

 むなしい空気にいたたまれなくなった記者の一人が、濡れた自分の髪の毛を手で触ってにおいをかぎ「大丈夫、ビールです!」と、あえて明るく叫んだ。しかし、胸をなで下ろす記者たちの横で、監督は口を固く結んだまま表情は変わらない。地獄の光景だった。

負け試合でファンにビールを投げつけられたことのある高木守道元監督

 このような思いはドラゴンズに限らず、他のチームも味わっている。ホームのヤクルトも同様で、昨年まで投手コーチだった伊藤智仁・現富山GRNサンダーバーズ監督も、2020年以降に神宮球場が移転・再建される可能性について話していた時に「今の球場は好きだけど、あの帰り道だけは負けた時につらい」と、こぼしていた。