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日本ハム・玉井大翔の活躍で思い出す盛田幸妃さんの言葉

文春野球コラム ペナントレース2018

2018/05/17
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思い出す盛田幸妃さんの言葉

 玉井投手は怖がらずに打者のインコースに投げ込んでいきます。実際、デッドボールも多く既に5個(5月15日試合終了時点)。負けん気が強く打者の胸元に曲がりの強いシュートをビシビシ投げ込んでいたあの投手ですらシーズン8個が最多のようですが、この調子でいくと?

 玉井投手が生まれ育ったのは北海道佐呂間町。人口約5200人、サロマ湖周辺での漁業も盛んな町です。道産子選手の活躍の度に思い出すのが、「地元というプレッシャーに負けないでほしい」という盛田幸妃さんの言葉です。引退後、解説者の盛田さんに私は番組で大変お世話になりました。1969年鹿部町の漁師の家に生まれ、函館有斗高校では毎年甲子園に出場し、ドラフト1位で横浜大洋ホエールズに入団、病と闘いながら近鉄でも活躍した「奇跡のリリーバー」。胸元をえぐる強気のシュートが代名詞です。当時のその表情からは想像出来ませんでしたが盛田投手の心の奥にはいつも故郷があったそうです。道南鹿部町も人口は4000人に満たない小さな町。小さければ小さいほど北海道は地元の繋がりが密着です。盛田さんは故郷を思うと家族だけじゃなくいろんな人の顔が浮かぶ、その全部を背負ってる気がしていた、と話してくれました。

地元をを背負って投げていた盛田幸妃さん ©文藝春秋

 以前、玉井投手にそう話すと「そうなんですね、僕も頑張ろうとは思います、でも、プレッシャーではないですよ」とさわやかに笑ってくれましたが、それを見て空の上から盛田投手がこんな風に微笑んでる気がします。「そんなことねえべ、ゆるぐねえべや」と。そして今のポジションについては同じ言葉でエールを送っているかもしれない。「ゆるぐねえよな、がんばれ」と。(「ゆるくない」=「大変だ」という意味)

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 何年か前までファイターズの函館開催試合は5月でした。故郷に近い函館の試合は必ず解説してくださっていた盛田さんの浜言葉をこの季節はより懐かしく思いますが、今年は玉井投手の活躍であのシュートまでも思い出しています。

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