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東出昌大が柳家喬太郎に聞く「真打になるということ」 落語“大好き”対談【後編】

異色の落語対談、まだまだたっぷりと

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真打になるのが怖い

東出 噺家さんと芸人さんって別ものなんですか。

喬太郎 一緒なんですけど、やれるのが落語だけだと、ちょっと不安じゃないかな。噺家って本来、そんなに需要のある仕事じゃないはずなんですよ。フッとブームが陰って、一所懸命頑張るだけではどうにもならなくなったら、芸人力みたいなものが必要になってくるんじゃないかなと。

 それから、まあちょっとシビアな話ですけど、いまは真打になってからが怖いですもん。二ツ目のほうがギャラが安くてフットワークが軽いから使いやすい、出番もある。逆に真打になってからのほうが食えないって話、現実問題になってきています。

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東出 先日、小痴楽さんも真打になるのが怖いとおっしゃってました。

喬太郎 じゃあ、アイツ、一生二ツ目でいいや(笑)。でも小痴楽は、そういう危機感を持っているのがエライ。真打になるのは怖いことですよ。

東出 小痴楽さんは「尊敬する噺家挙げてみろ」と米助師匠に言われて、喬太郎師匠だったり一之輔師匠だったり、白鳥師匠だったり、いろいろ噺家さんを挙げたんですって。すると「お前、真打になったら、その人たちと横並び一線で戦うことになるんだぞ。それだけの芸はあるのか」って言われたと。二ツ目ブームに、あぐらをかいてはいないけど、真打になるのが怖い、それがいまの悩みだっておっしゃってました。

 

喬太郎 僕自身も、真打昇進披露が終わったとき、怖いって思いました。披露目のときはお客さんも新真打として見てくれるけど、以降は一演者でしかない。小さんも志ん朝も、同じ真打として横並びになるわけです。そう楽屋で気づいたときに震えが止まらなくなっちゃって。怖くて怖くて。

 

東出 噺家さんの世界は、前座、二ツ目ときて、真打になるとそれ以上の階級ってないわけですもんね。真打制度ってちょっと変わってますね、そう考えると。

喬太郎 相撲の番付だと、入幕しても前頭、小結、関脇、大関、横綱ってありますけど、それがないというのはそれで、プレッシャーなものですよ。まあそれでも、噺家人生にはいいメリハリがつくんです。前座のときは二ツ目を目指そう、二ツ目になったらあれやろう、これやろう、そしてワクワクしながら真打を目指すわけです。その後は個々の生き方になりますけど、これって噺家に限った話じゃないですよね。師匠がいて、修行があり、実力に応じたステージがあるというのは、健全なことだと思ってますけどね。