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「我慢する人生」より「好きなことだけしてる人生」に価値があるのか?

あれを「羨ましい」と思うかどうかです

2018/05/10
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「好き」を仕事にするのがベスト、と言う嗜好至上主義者

 しかしながら、ただ漫然と「お前は何故いまの環境で我慢しているのか?」と煽られると、とたんに不安になるのも人間なのです。どこかに向かっている途上にあるのだから、これは我慢しようという自分の中の納得がない限り、この手の煽りに弱いのは事実であって、なりたい自分と、でもそうでない自分を見比べたときに、本来なら頑張ってインプットに取り組み、アウトプットを出していくべきところを、この不遇な環境が自分に不当な我慢を強いているのではないか、という気になってしまうわけであります。

 「我慢」できない人を煽って転がすテクニックに、「我慢なんて無駄だ」「やりたいことを仕事にすれば我慢しなくていい」って文言が、週刊誌やネットで躍ることは多くあります。その人の「好き」を仕事にするのがベスト、と言われる嗜好至上主義者です。まあ、私もゲームが子供のころから大好きで、実際ゲーム制作会社まで経営して、いまでもコンテンツ業界の片隅にはいますが、ゲームを遊んで楽しい快感と、ゲームを作って苦しい期間とは全然体験が違います。寿司だって、食べる側は「美味しいなあ」「寿司職人なら毎日こんなおいしいもの食べられるのかな」と思う一方、寿司職人の側は「なんだあの板前、クズのくせに威張りやがって」「年功序列辛いな、上の連中死なないかな」「早くパトロン見つけて店出していこう」などと、食べる側とは全然違うモチベーションで成り立っているわけですよ。もちろん、旨い寿司をお客様に食べてもらえるのが生き甲斐という人も多いでしょうし、仕事に打ち込むってのはそういうものだと思うんですよね。

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 でも、思い返すと「好き」ってのは実はかなりコントロールされるものだと思うんですよ。というのも、したくない仕事だな、ってのは誰にでも降ってくるものですが、やってみたら意外と楽しかった、面白い部分を発見した、まずは取り組んでみたら感謝されてやりがいを感じた、ってことは往々にしてあると思うのです。最初は好きでもなければ興味もない仕事や職場に居場所を見つけて、自分が集中できる環境ができ、頑張っているうちに血路が開けたり、未来に展望が見えたりということもあるかもしれません。