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ぼくらの近代建築散歩 in韓国[釜山・群山・木浦篇]――万城目学×門井慶喜 #1

日本の建物と慰安婦像はセットなの?

 あの名物企画が帰ってきた! 『ぼくらの近代建築デラックス!』で大阪、京都、神戸、横浜、東京の名建築をたずね歩いた万城目学さんと門井慶喜さん。今回は韓国に渡った建築探偵コンビ。日本統治下時代に日本が造り、韓国が残してきた建築遺産を人気作家の2人はどう見たのでしょうか――。「ソウル・仁川篇」に続き、「釜山・群山・木浦篇」です。(全2回/#2に続く)

◆旧広津吉三郎邸(群山)

 

門井 大雪のソウルを抜け出してKTX(韓国高速鉄道)に乗ること1時間。韓国中部にある港町、群山(クンサン)にやってきました。

万城目 韓国の方に「近代建築を見るために群山に行く」と言うと、みんな口々に「いま群山は日本家屋がおしゃれに改造されて、とても有名なんです」と納得する。どんなものだろうと楽しみにきました。

門井 群山は1899年開港。1930年代には、穀倉地帯の全羅道(チョルラド)から日本へコメを輸出する一大基地として発展しました。それで当時は多くの日本人が生活していた。日本人経営のパン屋が源流の韓国最古のベーカリーショップ「李盛堂」も群山にある。今日も、韓国人の観光客で大行列ができていましたね。

門井慶喜さん ©石川啓次/文藝春秋

万城目 アンパンが名物ということで、われわれも一つずつ食べましたが、同行の編集者が「普通にアンパンですね」という一番言ってはいけない感想を口にしていた(笑)。小説家も、作品を「普通に面白かった」って言われるのが一番がっかりしますからね。「伝えるべき感想はない」と言っているに等しいですから。

門井 日本人にも全く違和感のない味だったことは確かです(笑)。そのパン屋からしばらく歩いて、私が挙げた「旧広津吉三郎邸」にたどり着きました。ここは米穀商として富を築いた広津吉三郎が1935年に建てた日本家屋。山口県出身の広津は、釜山(プサン)に渡って炭売りから身を起こして成功した事業家です。建物は2階建てで10部屋もある。ちょうど改装工事中で、中には入れませんでしたが、隣のお店の2階からよく見えます。

高級旅館のような佇まいの旧広津邸 ©石川啓次/文藝春秋

日本統治下の映画のロケ地として使われるのも納得

万城目 えらい立派ですね。

門井 九州の炭鉱王、高取邸みたいなのと比べたら規模の点ではお話になりませんが、韓国にありながら、びっくりするくらい教科書通りの日本家屋であり、日本庭園。日本統治下を舞台にした映画のロケ地として使われるのも納得です。

万城目学さん ©石川啓次/文藝春秋

万城目 日本なら高級旅館として残っていそうな建物ですよね。庭には桜も植えられて、春夏秋冬何か咲くんでしょうね。

門井 生け垣の近くにはセンリョウの赤い実がなっていました。そして雨どいはブリキ。屋根は瓦葺で切妻屋根。だから、ある意味で、さきほどの「アンパン」と同じですよね。日本で食べることができる普通の味。もちろん建設当時は資材も日本から運び、宮大工も呼んで大変だったと思います。でも、結果として出来上がったものは、日本人にとって極めて普通。

万城目 お金持ちになると、結局は母国と同じものを建てる方向に行くんですね。あらゆる人種が。神戸の丘の上に洋館を建てるのも、母国の金持ち風。地元の名家的な豪邸は建てないですよね。

 コンパクトな街ですから、2時間あれば一通りの建築を歩いて見てまわれます。広津邸の近くには、どこからみても完全に日本のお寺「東国寺」がありました。

門井 外から見ただけでは違和感がないけど、一歩なかに入ると、どちらかというと中国のお寺に近かったですね。内と外でギャップがありました。

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