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ぼくらの近代建築散歩 in韓国[釜山・群山・木浦篇]――万城目学×門井慶喜 #2

韓国でも意外と愛されている日本統治時代の建物たち

 あの名物企画が帰ってきた! 『ぼくらの近代建築デラックス!』で大阪、京都、神戸、横浜、東京の名建築をたずね歩いた万城目学さんと門井慶喜さん。今回は韓国に渡った建築探偵コンビ。日本統治下時代に日本が造り、韓国が残してきた建築遺産を人気作家の2人はどう見たのでしょうか――。「ソウル・仁川篇」に続く「釜山・群山・木浦篇」の後編です。(全2回/#1より続く)

釜山タワーから釜山港を見下ろす2人 ©石川啓次/文藝春秋

◆旧釜山税関庁舎(釜山)

 

門井 今回の旅の最終目的地、釜山にやってきました。1876年に開港した韓国第2の都市です。

万城目 釜山の街を歩いていると、都市として元気がよくて、独自性を感じますよね。釜山タワーに上り、街のスケールを感じたのちに、釜山税関まで歩いてきました。

 ここには渡辺節(わたなべせつ)が設計した1911年完成の本庁舎があったのですが、残念ながら道路拡張時に壊されて、いまは現在の税関庁舎の玄関脇に、このように鐘楼の一部が寂しく残されるのみです。横浜の開港記念館にそっくりな建物で、ランドマークとして釜山市民に愛されたそうなんですが……。

渡辺節の釜山税関本庁舎は鐘楼が残る ©石川啓次/文藝春秋

門井 もし残っていたら、渡辺節の朝鮮時代を代表する物件になっていたことは間違いないですからね。

万城目 本当に。写真で見る限り、朗らかな海と晴れた日がよく似合う建物だったのに。建設当時は言ってみたら帝国主義の先鞭としてまず港をおさえて、貿易額を上げて外貨を獲得するため税関を作るというのが、渡辺節が所属した度支部の仕事。だから、釜山税関の庁舎も相当大きかったようですね。

あと10年持ちこたえていれば……

門井 壊されたのは1979年だそうです。

万城目 そうなんですよ。僕の生まれたときにはまだあったんですよね。

門井 あの時代が、もっとも取り壊しが多い時期なんですよね。

万城目 日本でも保存しようなんて言い出したのは90年代じゃないですか。

門井 それこそ藤森照信さんたちが近代建築について活動して盛り上がった時代からですよね。この釜山税関も、あと10年持ちこたえていれば、保存派が生まれていたかもしれない。ギリギリのところで負けちゃった。

万城目 釜山は日本からも本当に近い。今朝上った釜山タワーからも晴れた日は対馬が望めるそうです。関空までも飛行機で1時間そこらで着いちゃう。

門井 東京=大阪間の感覚です。

万城目 そうなると、渡辺節さんは頻繁に帰国していたんでしょうね。

門井 以前にも紹介しましたが、渡辺節は韓国滞在中も福岡や広島に愛人がいて、週末ごとに連絡船で帰国していたそうなんですよ。

万城目 艶福家、渡辺節の本領発揮ですよ。釜山で図面を引いて、土日になったら対馬海峡を渡っていたんですから。

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