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前川喜平氏を呼びつけた首相補佐官の正体――「官邸官僚」の研究

霞が関の常識を覆す“新型官僚”が跋扈している

2018/05/15

「国交省に和泉あり」

馬淵澄夫元国交相 ©文藝春秋

 民主党政権で国交大臣を務めた馬淵澄夫も、和泉の原点は「自民党小泉政権の都市再生本部事務局次長」と同意見だ。こう付け加える。

「このとき小泉さんの所属する派閥、清和政策研究会による旧田中派の流れをくむ平成研究会つぶしが始まった。田中派の力の源泉といえば、道路、鉄道、河川などの公共インフラ事業でした。それに代わる政策として、小泉政権下で、都市再生という新しい公共事業、つまり新しい国土交通省の利権の種を提示した。それが和泉さんだったのだと思います。バブル崩壊後の債務整理や金融再生を経ていく過程で、和泉さんが新たな成長産業として、都市集中型の地域再生という旗印を掲げ、小泉さんに仕掛けた。これまで都市計画は自治体に任せてきたが、以来、国がそこに手を突っ込んでいったのです」

 六本木の「東京ミッドタウン」や大阪の「あべのハルカス」計画などがそれにあたる。このあたりから、「国交省に和泉あり」と霞が関の他省庁にも、その名が轟くようになっていく。

あべのハルカス ©iStock.com

 和泉は04年7月、いったん内閣官房から国交省に戻り、住宅局担当の大臣官房審議官となる。

 この間、住宅建築技官の和泉にとってもう一つ、大きな出来事があった。それが05年11月に発覚した耐震偽装事件である。

業界の意を汲み部下を更迭

 一級建築士の姉歯秀次が建物の耐震強度の構造計算書偽造を繰り返し、06年12月、東京地裁により懲役5年の実刑判決が言い渡された。この耐震偽装事件は、自民党政権で進めてきたビルや戸建て住宅の「建築確認・検査の民間開放」が誘発したと批判された。従来、地方自治体や公共団体の建築主事がおこなってきた建物の構造検査を民間に任せた結果、耐震性を誤魔化す事態が発生したとされたのである。一連の規制緩和、民間開放事業の歪みともいえた。

耐震偽装問題による一斉捜索で、捜査員とともに警視庁に入る姉歯秀次元一級建築士 ©共同通信社

 耐震偽装の原因については、のちに国交省の構造計算システム問題も浮上し、民間検査会社のせいばかりではないのではないかという議論もあったが、事件を境に、国交省は制度の見直しに着手した。07年6月の建築基準法改正や建築士法改正、構造計算適合性判定の導入、それに住宅の瑕疵担保履行法による保険制度の充実などがそれにあたる。そこに直面したのが、当時、住宅局の審議官だった和泉である。事情を知る建築業界関係者が言う。

「建築業界の中でとりわけ問題になったのが、建築物の瑕疵に対する保険でした。国や自治体がマンションの住民などから立て続けに損害賠償請求の訴訟を起こされ、国交省としてすべての建築業者に対し、新たな瑕疵担保責任保険の強制加入制度を導入しようとしました。担当の住宅生産課長とその下の課長補佐クラスがそれを進め、業界にプレッシャーをかけてきたのです」

耐震偽装問題でヒューザー本社へ家宅捜索に入る捜査員 ©共同通信社

 自動車でいうところの自賠責保険のような強制の皆保険制度を導入しようとした。だが、これに大手の建築業者が余計なコストがかかると猛反発、住団連(住宅生産団体連合会)として正式に反対したのである。その際に業界が頼ったのが、審議官の和泉だったという。

「和泉さんはわれわれの声を受け入れてくれましてね。驚いたことに、保険制度を進めていた生産課長を飛ば(更迭)してしまいました。課長は国交省を辞め、川崎市の助役になりました。それだけでなく、補佐クラスもいっぺんに首を挿げ替えました。そうして子飼いの伊藤明子(現住宅局長)さんが、住宅局住宅生産課建築生産技術企画官というポストに就いて、保険制度は折衷案に落ち着いた。強制加入ではなく、任意型の保険制度になり、さすが和泉さん、救いの神だ、となったのです」(業界関係者)

 つまるところ和泉は業界側の意を汲み、政官業の調整役を果たしたということだろう。ただし本来の消費者・住民保護という趣旨からすると、それが骨抜きになった感も否めない。が、建築基準法の改正なども手掛け、格好をつけたおかげで、和泉は業界だけでなく、政府からも評価されたという。

 また同じ頃、和泉が住宅建設業者向けに立案したのが、「200年住宅」政策だ。耐震性の高い梁などを使って自由に間取り変更できるという、文字どおり200年の耐久性を謳った住宅建設である。07年、自民党の政策として提言された。この仕掛け人が和泉だった、と先の元同僚が解説する。

「高級住宅なのでこれも業界向けの政策です。和泉さんのうまいところは、ここへ官房長官だった福田康夫さんを巻き込んだこと。福田さんとは高崎に出向していた頃からの付き合いでしょうが、和泉さんは普段特定の法律や政策を担ぐことの滅多にないクールな福田さんを、自民党検討会の座長に引っ張り出したのです」

 和泉は07年7月、住宅局長に就任。その2カ月後の9月、とつぜん辞任した安倍に代わり、福田が首相の座に就く。かつて建設省OB上野の引きで小泉政権時代に政権中枢に近い内閣官房都市再生本部入りし、権力の妙味を味わっている。和泉にとって福田政権の誕生は、好都合だったが、肝心の政権が長続きしなかった。

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