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森 功
2018/05/15

前川喜平氏を呼びつけた首相補佐官の正体――「官邸官僚」の研究

霞が関の常識を覆す“新型官僚”が跋扈している

genre : ニュース, 政治

事実上、事務次官を超えたポスト

 この頃、和泉が手掛け、霞が関で話題になったもう一つの政策が、ユネスコへの「明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域」の世界遺産提案である。もともと2000年代に入り、北九州地域で運動が始まり、民主党政権時代を跨いでいる政策だが、和泉はここでも平野を巻き込んでいる。当の平野が語る。

「世界遺産の申請は構造的に文化庁の既得権益になっていたのですが、和泉さんは平野だったらよく知っているので、構造改革、規制緩和をやりやすいと思ったのかもしれませんな。(地域活性化統合本部事務局で)産業遺産も世界遺産として申請しようとしたのだけど、私はそこに乗った。既得権益の打破もあるけど、日本の近代化の歴史として後世に残しておくべきだってことでね」

 09年に自民党から民主党へ政権が移り、12年には再び自民党が政権に返り咲く。この間の12年10月、和泉はレイムダック状態だった野田政権において、内閣官房の参与に就任する。以後、古巣の国交省を退官した格好になるが、そこから政権交代した第二次安倍内閣で、首相補佐官の座を射止めた。事実上、事務次官を超えたポストだ。

©文藝春秋

和泉VS文科省、再び

 和泉はときの政権に重用され、生き残ってきた。と同時に、権力をうまく使い分け、政策を実現してきたといえる。政策の原点は小泉政権時代の構造改革であり、それを踏襲し、より右傾化した安倍政権にも通じてきた。ただし、それはときに無理筋のようにも映る。

 第二次安倍政権では「明治日本の産業革命遺産」を文化事業の目玉政策と位置付け、14年1月、世界文化遺産の推薦候補に決定した。もっとも、その裏では和泉対文科省の熾烈な攻防が繰り広げられていた。当時、文科省の官房長だった前川は、そのあたりにも詳しい。

前川前文科次官 ©文藝春秋

「和泉さんの指図で差し替わったのが、文化庁の文化審議会の委員人事です。ユネスコの諮問機関として世界遺産登録の審査をする日本イコモス国内委員会の西村幸夫委員長が、ずっと審議会の委員をやっていたのですが、委員改選のとき和泉さんから『西村を外せ』と言われたんです。理由は明治日本の産業革命遺産に対し、朝鮮人労働者問題や稼働中の施設もあり、日本イコモスが非常にネガティブな対応をしたからでした」

 前川が記憶を呼び起こし、歯切れよくこう言う。

「本来、日本政府は文化審議会の世界遺産特別委員会でユネスコ世界遺産に登録を求める推薦案件として、日本イコモスの意見を聞くものです。産業革命遺産は、幕末の松下村塾もあれば、三井三池の炭鉱も入っていて、文化遺産としてもまとまりがなくバラバラ。なのに、イコモスを飛び越えて西村さんを外し、結果的に世界遺産委員会でユネスコの登録を勝ち取ったんです。これを安倍首相の幼馴染で加藤勝信厚労大臣の義姉にあたる加藤康子さんが一生懸命に推し、ユネスコ大使だった木曽功さんも一肌脱いだ。木曽さんと和泉さんとのつながりはそこでできているんです」

 木曽は元文部科学官僚で、あの加計学園の理事を務めている。和泉とともに、獣医学部新設に向けて動いた人物でもある。

 第二次安倍政権では、06年当時の一次内閣時代から仕えてきた秘書官たちが再び登用され、重要ポストを占めてきた。だが、和泉はそうではなく、民主党時代の内閣参与からの抜擢だ。それは官房長官の菅の強い推薦があったからだとされる。

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