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森 功
2018/05/15

前川喜平氏を呼びつけた首相補佐官の正体――「官邸官僚」の研究

霞が関の常識を覆す“新型官僚”が跋扈している

genre : ニュース, 政治

水面下で基地問題に奔走

 秋田県の農村出身である菅は、神奈川1区選出の自民党代議士、小此木彦三郎の秘書になり、87年に横浜市議に転身した。96年に衆院神奈川2区で初当選し、政権ナンバー2の官房長官に昇りつめる。安倍一強政権における多くの政策を支えてきたのは、言うまでもない。和泉との関係でいえば、小泉政権時代の国交政務官時代からとの説もある。が、そうではない、と2人をよく知る政界通は次のように明かす。

「菅さんと和泉さんの付き合いは、菅さんの横浜市議時代からだと聞いています。菅さんは市議時代、建設省の事務次官だった高秀秀信さんを市長に擁立しました。そのせいで影の市長などと囁かれたものですが、そこにも和泉さんが協力していると思います。といっても、市議時代は中央官庁の和泉さんの立場が上だったみたいで、菅さんが横浜市で進めた道路整備なども含め、若い頃から頼ってきた。とくに国交省の政務官になって以降は、何かにつけ政策を相談するようになり、和泉なくば今の菅はない、といわれるほど、いろんな場面で登場してきました」

菅官房長官 ©JMPA

 和泉は他の省庁の官僚にも知己が多い。なかでも財務省事務次官だった故・香川俊介や現金融庁長官の森信親などはともに飲み歩く間柄だ。そこに下戸の菅が加わり、勉強会と称した懇親会を開くこともしばしばあったという。

 第二次安倍政権発足後、菅は官房長官でありながら、沖縄の基地問題を担当してきた。表向き沖縄県との交渉窓口は、官房副長官の杉田和博になっているが、その実、水面下で奔走してきたのが、和泉である。

「政府はインバウンドによる観光振興や金融特区の設置、高速道路や港湾整備など、振興政策で県民を懐柔してきたけど、それらを進めてきたのも和泉さん。さらに最近は基地問題に取り組んでいます。辺野古基地建設は、和泉さんが菅さんから託された最大のミッションです」

 ある国交省の技官経験者がこう話してくれた。和泉は辺野古基地建設における「影の司令塔」と呼ばれる。

 基地に関して影の司令塔が動き出したのは、15年秋口から翌16年春先だ。周知のように辺野古基地の建設については、前知事の仲井眞弘多が埋め立て工事を承認したが、翁長雄志が知事に就任すると、その承認を取り消した。かたや政府は工事承認の取り消しは違法だと反訴し、訴訟合戦に発展する。

 最高裁は16年12月、翁長の承認取り消しを違法とし、国が勝訴した。が、実際に辺野古の埋め立てをするには、湾の地形や地層に応じてもともとの工事の設計を変更しなければならず、その都度、知事の承認が必要になる。そこで防衛省の出先機関である沖縄防衛局は逡巡し、基地の建設工事が遅々として進まなかった経緯がある。

「たとえば沖縄防衛局のこれまでの設計では、米軍基地の滑走路を支える土台が50メートルの湾の深さの地層に耐えられないことがわかったのです。断層に空洞があり、そこに砂を入れて地盤を固めなければならないとか、そのためにボーリング調査からやり直す必要があるとか、設計の見直しをしなければならなくなった。それで、業を煮やした菅さんたちが国交省から9人の設計屋を送り込んできたのです」

 基地反対派の名護市議、大城敬人がそう説明してくれた。先の国交省の技官経験者はこう言う。

「辺野古では、この件で県側に付け込まれ、埋め立て工事が進まなくなっていました。それで、和泉さんが港湾局長に命じ、港湾局で『チーム和泉』を結成して防衛省に送り込んだのです。港湾局長も菅さんや和泉さんに睨まれたくはないし、なにより政権最大のイシューである基地問題に協力すれば、自らの次官の目も見えてきますから、喜んで従うわけです」

辺野古への移設が計画されている普天間基地 ©共同通信社

週に一度のペースで基地問題を打ち合わせ

 和泉が国交省から港湾のスペシャリストを防衛省に送り込んだのは、最高裁判決からさかのぼること1年近く前の16年1月のことだ。国交省港湾局技術企画課技術監理室長だった遠藤仁彦を沖縄防衛局次長、同港湾局海洋・環境課特定離島港湾利用調整官の阿野貴史を調達部次長に据えた。それだけでなく、防衛省本体から彼らに指示を出す役割として、国交省の官房技術参事官の下司弘之を官房審議官、国交省公共事業企画調整課長の松永康男を官房参事官として配置した。

 和泉は週に一度のペースで関係者と基地問題を打ち合わせ、「チーム和泉」に指示を出したり、場合によって自ら沖縄入りして計画を進めているという。

「本来、設計変更後の岩礁破砕なども県知事の許可を受けないといけない。ところが、知事はそれを出さない。すると彼らは護岸の浅いところから工事を進めるようになった。厳密には違法行為なのですが、菅官房長官などは後戻りができないほどやれば、県知事は止めようがなくなるんだと豪語しています。そこまで強引にやっているってことですね」(前出の名護市議・大城)

 まずは既成事実づくりという、いかにも和泉流といえる。菅や和泉はこうして基地問題に楔を打ち込みながら、今年2月、辺野古基地の建設予定地である名護市長選に臨んだ。

 当初、3選目を目指した現職の稲嶺進が有利と目されたが、自公、維新の会推薦の新人、渡具知(とぐち)武豊がおよそ3500票の大差で圧勝した。おかげで安倍政権や自民党陣営は、来る11月の知事選に向け、勢いがついた格好になっている。

 名護市長選における自公の勝因は、それまで県民感情に遠慮していた公明党が推薦をしたことなどが挙げられる。また官房長官の菅をはじめ自民党幹事長の二階俊博など、大物国会議員も応援に入り、選挙を盛りあげた。が、その裏で和泉たちが動いてきたのは言うまでもない。

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