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2018/05/13

 羽生には、2連覇が懸かっていた。達成すれば、66年ぶりになる。羽生は、優勝候補の筆頭にいた。ただ、不安要素がなかったわけではない。

 昨年11月、NHK杯の練習中に転倒し、足首に怪我(右足関節外側靭帯損傷)をした。以来、試合には出ていなかった。平昌オリンピックでも、個人戦の前に行われた団体戦には出場しなかった。

 だけど、私はあまり心配していなかった。羽生が平昌に間に合わないはずが、ない。ずっと、そう思い続けていた。

 羽生の身体は頑強ではない。ソチで金メダルを獲ったあとも、さまざまに苦しんだ。病気をした。怪我も少なくなかった。何度も、あった。

 それでも、彼は立ち止まらなかった。さらに美しくなって、戻ってきた。世界最高記録だって、出してみせた。ドラマの主人公のような男なのだ、彼はまったく。

 だから、よく思い浮かべた。喝采の中に立つ羽生結弦と、一番高いところに揚がる日の丸。そして、結果はまさにそのとおりになった。

©JMPA

 彼は、文句なしにすばらしかった。歓声は、まるで飛泉のようだった。ざあっという「音」が、大きく、長く聞こえた。

 ふたつき前の「興奮」は、「熱狂」と記してもよかった。とにかく、それは渦を巻いて記者席にも届いた。

 

 2018年2月16日、男子シングルショートプログラム。

 江陵アイスアリーナの入場ゲート付近には、日本のテレビクルーが何組もいて、日本人を取材していた。

 国旗を持ったり、頬にペイントをしたり、ぬいぐるみ(黄色い「くまのプーさん」だ)を抱いている人がいた。

 インタビューを受ける代わりに、アナウンサーに「一緒に写真を」と頼む人も、いた。皆にこやかで、足取りも軽かった。オリンピックは、そういう祭典なのだ。心が躍る。

 ただし、会場は空席が目立った。チケットは完売と聞いたが、日本での試合と比べれば、がらがらな感じがした。

 アリゾナからきたという、恰幅のよい夫妻は荷物を置いたり、食べものを置いたりして、席をむっつほど使っていた。

 上の方の席には、ボランティアの女性が、席を埋めるために動員されていた。スマートフォンを見ていたり、ポップコーンを食べているような人たちだ。眠っている人さえ、いた。

 もし、日本からの観客がいなければ、このオリンピックは失敗だっただろう。私見だが、フィギュアスケートに限って言えば、絶対にそうだ。

 羽生結弦がリンクサイドに現れると、拍手がわき起こった。浮き立つものではない。不安と心配の混ざる拍手だ。

「自分が勝つつもりでいる」

 大会前に、羽生はそう話していた。自らを追い込む、強い言葉だ。勝つために、彼はオリンピックの舞台に帰ってきた。勝負師の顔をしている。

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