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2018/05/13

 ショートの使用曲「バラード第一番」。静かな調べに溶けるように、羽生は踊った。ふわりと4回転サルコウを跳んだ。トリプルアクセルにはすごく幅があって、空を舞っているように見えた。

ショートプログラム ©JMPA

 バラードと呼ぶに相応しい内容だった。「物語」は完成していた。深刻な怪我があったのは事実だ。誰もが知っている。でも、羽生のスケートは、十分に滑り込まれた作品のように見えた。何もかもが、美しかった。

 ここまで来るのに、彼はどれだけの痛みをこらえただろう。どれほど苦しんだだろう。

 演技後の羽生を見られなかった。ちょっとの間、メモも取れなかった。声を抑えて、私は泣いた。嬉しくて、泣いた。

 リンクで、彼は優しく微笑んでいた。凛々しく、涼やかだった。だけど、以前とは雰囲気が違っていた。挑戦を止めない人の、諦めない人の、気概のようなもの。それがさらに磨かれ、新しくなっていた。

 圧巻のショートの得点、111.68。もちろん、首位につけた。

©JMPA

ため息が出る美しさ

 2018年2月17日は、フィギュアスケートに新しく歴史が刻まれた日だ。男子シングルフリースケーティングが行われた。

 こんな話を耳にする。ショートは大丈夫だったけれど、4分半ではどうだろう? 羽生の足と体力の心配を、その人はしていた。

 試合は、午前10時から始まった。13時を過ぎても、会場は満席にはならなかった。空席が目立った。

 それから相変わらず、「日の丸」が目立つ。四方、上下、ぐるりに見える。日本から来た人の思いが、温かく伝わる。

 隣に座っていた中国人の記者(チャーミングな若い女性だ)は、競技には興味がないようだった。ずっとメールをしていて、試合は観ていなかった。でも、「私は羽生が好きなの」と言っていた。

 羽生は最終第4グループに、登場した。22番スタートだ。

 ここまでのトップは、ネイサン・チェン(アメリカ)。彼は第2グループ、9番で滑った。ショート17位と出遅れたが、フリーは6回の4回転に挑み、5回を完璧に跳んだ。得点は215.08(パーソナルベスト)、その日の最高を記録した。

 ネイサンの「結果」が示すように、男子シングルは現在、4回転を跳ばなければ戦えない。そんな時代になっている(詳しくは、小著『羽生結弦が生まれるまで 日本男子フィギュアスケート挑戦の歴史』に書いた)。

 羽生は4回転を4種類持っている。トーループ、サルコウ、ループ、ルッツだ。ジャンプの難易度は、紹介順に高くなっていく。当然、基礎点も高くなる。

 でも、羽生は平昌でループ、ルッツを跳ばなかった。プログラムから外した。

フィギュアスケート史に煌めく歴史を加えたフリーの演技 ©JMPA

「演技構成をどうしたらいいのか。何がベストなのか。自分でも悩みました。ただ、最終的には跳びたかったジャンプは跳べたのでよかったと思います」

 彼は、トーループとサルコウを跳んだ。難易度を落とし、演技の完成度で勝負をする。そういう選択をしたのである。

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