昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

特集クイズです

美人クイズ棋士・竹俣紅「天才少女が『ワイドナショー』で芸能界デビューした理由」

女性棋士として、そして美人クイズプレーヤーとして活躍する竹俣紅さん。知られざる19歳のこれまでをたっぷりお伺いしました。ロングインタビュー後編、まずは衝撃的な「砂場の思い出」から!(全2回/前編より続く)

 

ひたすら幼稚園のお砂場を掘っていたころ

――竹俣さんは小学6年生のときに女流王将戦の予選でプロ2人を破るなどして「天才少女」として注目されましたよね。いったい、どんな幼少期だったんですか?

竹俣 お砂場遊びが好きだったんです。それで、ただひたすら砂を掘って、幼稚園のお砂場の底を見たことがあります(笑)。コンクリートなんだって知って、「あ」って絶句したというか。知ってしまったみたいな。

――深掘りタイプなんですね。

竹俣 確かに一つのことを突き詰めてするのは好きですね。

――他に深掘りしてたものってありますか?

竹俣 折り紙とか、ハマってましたね。一時期はダックスフントとか、何も見ないでどこでも折れたんですけど、今は忘れちゃった。

 

――何か特別な教育を受けていたんですか?

竹俣 いえ特に何もしていません。一人っ子なのもあり、一人遊びが好きでした。

「もう勉強は終わりにしなさい」って親に止められてました

――でも中学受験の際には、あまりにも勉強に没頭しすぎるので、お母さまが「勉強は2時間まで」って制限したらしいですね。

竹俣 ああ、言われました。何か始めると、テンションが上がってしまって、限度なくやり続けてしまうみたいです。休憩なしでずっと。なので、「もう勉強は終わりにしなさい」って親に止められると、将棋をやっていました(笑)。

――雑誌に載ったお母さまの証言によれば、それがあまりにも度を越しているので病院に連れて行ったこともあるとか。

竹俣 自分としては全然そんなことないのになって思っていましたけど(笑)、いろいろ心配されてはいたんでしょうね。

 

――没頭するのは将棋も同じだったんですか?

竹俣 そうですね。そもそもは、祖母がはじいていたそろばんに憧れて、本屋さんにそろばんの本を買いに行ったらなくて、そこで偶然見つけた将棋の本に夢中になったところからなんです。

――偶然とはいえ、なぜ将棋だったんでしょう。

竹俣 漢字を覚えるのが大好きだったので「駒にいろんな漢字が書いてあるゲームって面白そう」って思ったんです。新聞とか、大人が何気なく読んでいるものを私も読みたい、読めるようになりたいっていう知識欲みたいなものが強かったんでしょうね。

「将棋をやらないのであれば、出ていってください!」

――そこから少しずつ究めていって、中学受験して入学した渋谷教育学園渋谷中学では将棋部に入られる。

竹俣 将棋部のマネージャーとコーチをしていました。

 

――マネージャーって?

竹俣 運営のほうです。ただ、私が入った当初は先輩方がプレステみたいなゲームをピコピコ部室でやってるような状態で、これは変えないとまずい、と思ったんです。それで「将棋をやらないのであれば、出ていってください!」って怒ったんです。今思えば、中1なのに生意気なこと言って、自分で自分をひっぱたきたくなるんですけど(笑)。

――先輩方はどうしたんですか?

竹俣 ゲームを別の場所でするようになりました。