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警察庁長官狙撃真犯人「捜査秘録」 原雄一×江川紹子

元警視庁刑事が明かす7年間の取調べの全貌

江川 未解決に終わった國松孝次警察庁長官狙撃事件について、私たちの知りたかったことが、この本には全部書いてあります。犯行を自供している中村泰(ひろし)という老人が真犯人だという報道は以前から一部でありましたが、直に中村の取り調べを担当した原さんの記録ですから、実に具体的で決定的です。裏付けもほぼ取れたのに、なぜ立件できなかったのか。なぜ公安部がオウム真理教犯行説にこだわり続けたのか。その経緯がよくわかりました。

原雄一(警視庁捜査第一課元刑事) ©文藝春秋

 私は警察官人生36年半のうち多くの年月においてオウム事件と警察庁長官狙撃事件に携わりました。平成7年の地下鉄サリン事件と麻原彰晃逮捕から、平成24年に最後の特別手配犯を逮捕するまでかかわった。そんな捜査員は、たぶん私しかいないと思います。

江川 オウム裁判はこの1月にすべて終わって、3月には死刑囚13人のうち7人が、東京拘置所から地方の拘置所へ移送されましたね。

 執行が現実味を帯びてきたかなという印象を受けました。麻原逮捕も一つの節目でしたが、また大きな節目を迎えることになります。

江川 長官狙撃事件発生時の警察内部の反応ですけど、本を読むと「俺たちの親分がやられた」といきり立つ感じでもなく、割と冷静ですね。

 言い方はちょっときついけど、「警察官なら自分の身は自分で守らなきゃ」という受け止めもありましたね。あの時は、いつ何が起きてもおかしくない状況でしたから。

『宿命 警察庁長官狙撃事件 捜査第一課元刑事の23年』(原雄一 著)

 原雄一氏は中央大学法学部を卒業後、昭和55年に警視庁入庁。機動捜査隊や捜査第一課で、数々の刑事事件に携わった。滝野川署署長、第九方面本部副本部長を務め、平成28年9月末に退官。

 3月下旬に発売されたばかりの著書『宿命 警察庁長官狙撃事件 捜査第一課元刑事の23年』(講談社)で、捜査の内情を最もよく知る立場から、犯行の詳細と時効成立の“真相”を明かしている。

 平成7年3月20日に地下鉄サリン事件、22日にオウム一斉捜索。國松長官狙撃事件は、30日朝8時半に発生した。オウムの犯行に違いないと見込まれ、南千住署の特別捜査本部は刑事部ではなく公安部主導で設置された。

 もしオウムの中に犯人がいれば、いずれはわかったはずです。ところが多くの信者が他の事件については全面自供したのに、この事件だけはどうやっても出てこなかった。

江川紹子(ジャーナリスト) ©文藝春秋

江川 私もこの事件については、割と早い時期から、「オウム的」ではないと感じていました。彼らの特徴は武器を全部手作りすること、サリンやVXも、自動小銃もそうです。だから、コルト・パイソンで狙撃するなど、オウムらしくないなと。

 事件翌年の春に、公安部がオウム信者のK巡査長に対する取り調べを始め、「私が撃った」「銃は神田川に捨てた」などと供述したようですが、神田川をいくら捜索しても銃は出てこず、立件は見送られた。当初は、そんな人物を取り調べているなど、我々はまったく知らされていませんでした。

江川 その後、平成14年に名古屋で銀行の現金輸送車を襲って逮捕されていた中村泰が、長官狙撃事件の容疑者として浮かんできた。それが平成15年のことですね。

 ええ。中村の関係先と貸金庫の捜索で、長官狙撃事件に関する資料や大量の銃器・弾薬が発見されたんです。南千住署に設けられていた特別捜査本部とは別に、警視庁、愛知県警、大阪府警(中村は大阪でも別の事件を起こしていたため)による合同捜査本部が設置されて、私も加わりました。初めて中村を取り調べたのは、平成16年2月です。