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2000本安打達成の内川聖一 あの山本昌も驚いた打撃技術とは

右打者としてはA・ラミレス、長嶋茂雄に次ぐスピードで達成 ©共同通信社

「苦労人で、地味なんですが、“21世紀最強の右バッター”とも言われています」

 スポーツ紙デスクがこう語るのは、5月9日にプロ野球通算51人目となる2000本安打を達成したソフトバンクの内川聖一内野手(35)だ。

 対戦するパ・リーグの某捕手が「構えが大きくて、どこに投げても打たれそうで、実際、詰まらせてもヒットにされちゃうし、投げるところがない」と嘆く安打製造機・内川。だが、ここに至るまでの道のりは平坦ではなかった。

 大分工1年の夏に左の踵が骨のう腫という病気になり、3度手術を受けた。入院中に再会した中学の同級生が骨肉腫で亡くなって「野球をやれるのは普通じゃないと思った」という内川。野球自体を諦めてしまいかねない状況から本格復帰したのは高2の春以降。それでもほとんど打ち損じがない彼の打撃練習を見て驚いたスカウトに見いだされ、甲子園出場はなかったものの2000年のドラフトで横浜に1位指名された。

 しかしプロ入り後、今度は“イップス(思うように送球ができなくなること)”に陥ってしまう。迎えた08年、「今年ダメだったら辞める」という覚悟でバッティングの改良に取り組んだ結果、右打者過去最高の3割7分8厘で首位打者となった。

 その打撃技術について、現役時代の対戦成績で4割3分6厘と打たれまくった元中日の山本昌との間には、こんなエピソードがある。

「打ち取ったはずのゴロが野手の間を抜けていくのを不思議に思っていた山本が、内川本人に尋ねたそうです。すると、『球足が速くなるように回転を掛けて打っている』と。そんな技術、聞いたことがありません」(前出・デスク)

 またベテラン記者は「苦労人だからでしょうが、心優しい男です」と明かす。

「福島で行われた13年のオールスターでMVPになった彼は『野球をやらせて貰った恩返し』と、野球教室を毎年開催しています。メインは参加者全員とのキャッチボールで、『相手の胸に投げる、相手を思いやる心を持ってないと上手くなれない』と、熱く声を掛けるんですよ」(同前)

 そんな息子の2000本目の安打を見届けた父の一寛さんは「若いときから苦労してきて、やっと花開いた」と労(ねぎら)ったという。