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ツイッター効果で礼拝参加者が2倍に! 「上馬キリスト教会」の“押し付けない”スタンス

聖書とツイッターは相性がいい?(後編)

note

礼拝や信仰そのものは変えられない

牧師 トラクトはトラクターに語源があると言われているんです。聖書という神の言(ことば)を持ち運ぶ、と言う意味です。でも、その持ち運ぶ媒体は何でもいいわけですよ。

まじめ ちなみに、これはキリスト教上の慣習なのですが、聖書や神様の「ことば」は「言葉」とは書かず「言」の一文字で「ことば」と読ませます。「言」とはヨハネの福音書の冒頭にありますが、原語のギリシア語では「ロゴス」であって「真理そのもの」というような意味です。我々人間の「ことば」はその枝葉末節に過ぎないので「葉」という字をつけて「言葉」としますが、神の「ことば」はその幹であるので「葉」の字を外します。

 

――なるほど。先ほど礼拝も見学させていただきましたが、ふざけた印象の強いツイッターに対して礼拝はすごくクラシックというか、まじめな印象で驚きました。

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ふざけ 礼拝もツイッターでやっているような、軽いノリにしたほうがもっと人が来てくれるかもしれない、というのは一意見としてあります。でも、そこは譲ってはならない部分で、そこを変えてしまうと本末転倒なんです。あくまで僕たちは、軽いノリで教会までの道案内をする役目。教会や信仰そのものは敬虔なものであることを崩しては、意味がないんです。

 

僕たちのやっていることは「種まき」です

まじめ 最初はもちろん、ツイッターを見て教会に来てくれた人はこのギャップをどう思うのかな、という心配もありました。でも、教会というのは神様との対話の場所ですから、来てもらうまでが僕たちの仕事で、それから先は僕たちにどうにもできない神様の領域なんです。

ふざけ 来てもらった人の中にも、「もう来ないかもな」という方はいらっしゃるかもしれません。でも、教会に来てもらったり、僕たちのツイートを見てもらった人にはなにかしらの「種」は播いているはずだと思っています。

――種、ですか。このアカウントを知って、一瞬でもキリスト教や教会に興味をもてば、それがフックになって何かの機会に活きてくることもあるかも知れませんね。

まじめ そうなんです。だから、「近所の教会に行ってみました」とか「学校で習った聖書の一節を思い出して、今日これをやってみました」とか報告をもらえるとすごくうれしいです。僕たちの知らないところでなにかちょっとした変化が起こってるのかもしれない、ということですから。

写真=平松市聖/文藝春秋

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