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西城秀樹が遺したメッセージ「2度の脳梗塞には感謝している」

追悼・西城秀樹 生前語った「3度目の人生」

2018/05/17

source : 文藝春秋 2016年12月号

genre : ニュース, 芸能, 社会, 医療

脳梗塞を起こした人の多くが経験する、うつ状態

 2度目に発症したのは、2011年の暮れです。身体がふらついたときは、風邪のせいかと思いました。前回と同じ慶應病院へ行ってMRIを撮ってもらっても、異常は見つかりません。しかし「念のため今日は泊まってください」と言われたのが幸い。朝には、病室のベッドから起き上がれなくなっていたんです。

 ショックは何十倍でしたよ。再発を予防しようと生活に気をつけていただけに、なぜ? という思いが強かったんです。

 前より症状が重いことも、じゅうぶん自覚できました。唇や舌が痺れてしゃべれないし、右手と右足が自由に動かせません。前回と違って、退院後はリハビリ専門の病院へ移る必要がありました。

2004年サッカー・キリンチャレンジ杯で君が代を歌う西城さん(静岡スタジアム) ©時事通信社

 リハビリ室ではほかの患者さんと一緒ですから、他人の目が気になって、さらし者になっているような屈辱感を味わいました。おはじきをしたり、並べた十円玉を指でつまむトレーニング内容に、「こんな幼稚園児みたいなことやってられるか」と思いながら、できない自分。昼間はそうやって苛立っているのに、夜になると生きているのが嫌になるほどの絶望感と自己嫌悪に襲われます。これは、脳梗塞を起こした人の多くが経験する、うつ状態だそうです。

リハビリで自分の弱さを素直に認められるようになった

 けれどもリハビリ室では、まだ若い人、ぼくと同じ世代の人、ずっと高齢の人が、それぞれの症状を好転させようと戦っていました。昨日まで立てなかった人が立ち上がり、歩けなかった人が歩き始める様子を見ることは、いい目標になりました。以前は、医師や療法士から「よくなってきたことを喜んで下さい」と言われても、

「気休めを言わないで下さい。ぼくは、歌えなくなったら死んだも同然なんですよ!」

 と反発していたのが、自分の弱さを素直に認められるようになった。すると、注目されることがかえって励みになり、麻痺が残っていることやリハビリがうまくできないことを恥ずかしく思わなくなった。「病は気から」を実感したわけですね。

2008年、首相主催「桜を見る会」に出席した西城さん(前列右から2番目) ©文藝春秋

 普通に接しなければならない家族や周囲のほうが、気を遣って大変なんだということも知りました。家で薬を飲もうとして落としたとき、子どもは反射的に拾ってくれようとします。それを制して自分で拾うのも、リハビリのうちなんです。子どもは3人に増えましたが、まだ中学生と小学生です。成人する姿までは、見届けなければね。

 病気をして、価値観が変わりました。以前は気にしなかった季節の移り変わりを感じたり、景色の美しさに感動したり、家の中に迷い込んできた虫は外へ逃がす。殺せなくなってしまったんです(笑)。

 食事は妻が気を遣ってくれて、バランスよく野菜中心です。朝は納豆とヨーグルトを欠かしません。「腹八分目」がいいと言われますが、ぼくには多すぎます。「7.5分」くらいがちょうどいい。

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