文春オンライン

柳沢、内田、柴崎らを見つけた鹿島の名スカウトに学ぶ「仕事とは何か」

J1鹿島アントラーズ・椎本邦一スカウト部長インタビュー

2018/05/19
note

 裏表がない。いつ会っても屈託ない。

 鹿島アントラーズの椎本邦一スカウトと知り合って15年。話をしていると、いつしか何だか自分も笑っている。彼はそんな人だ。

 柳沢敦にはじまり、中田浩二、興梠慎三、岩政大樹、内田篤人、大迫勇也、柴崎岳、昌子源、植田直通らのちに日本代表となる逸材を発掘してきた名スカウトは5月1日で還暦を迎えた。

ADVERTISEMENT

椎本邦一スカウト 

 ひょっとして引退?

 久々に電話を入れたら、「引退しねーよ。何、俺を引退させたいわけ?」と懐かしい、いつもの笑い声。「じゃあ還暦記念にインタビューしましょうか?」と申し込んだら、「あっ、俺は表に出ない人だから」とまさかの拒否。鹿島に申し込むと、本人あっさり受諾したとか。うーん早速、椎本ペースだ。60歳を目前に控えた吉日、笑みを浮かべたおじさんスカウトが待っていた。

 仕事は楽しいですか?

 いや、聞くまでもなかった。見ていれば、話をしていればそれは伝わってくる。

◆ ◆ ◆

「誰を取るかは一任してくれている」

――現役時代は対人に強いディフェンダーでした。駒大からJSLの住友金属サッカー部に進み、30歳で現役を引退。同部でコーチを務めていましたけど、鹿島アントラーズの誕生に伴ってユース監督に就任しました。最初からスカウトだったわけじゃない。

「クラブから “何をやりたい”って聞かれたから、ユースの指導者をやらせてほしいって言ったわけよ。3年弱ぐらいやったかな、当時は強化部のなかにスカウト専門の人がいなくて、強化部みんなでやっていた。だったら専門のセクションをつくろうとなって、“じゃあ椎本やれ”ってスカウト担当になったのが1994年12月かな。もう24年目になる」

©三宅史郎/文藝春秋

――ここまで23年間。柳沢からはじまって、のちの日本代表を次々と獲得していくことになります。

「俺がクラブに感謝しなきゃいけないのは、誰を取るかは俺に一任してくれていること。もちろんどのポジションの選手を獲得するかは(要望が)来るけど、別にイチイチ相談しなくていい。俺が決めて、“学校側にこの選手を獲得したい”と言ったらそれがオファーになる。俺を信じてくれるから、やりやすい」

――監督やフロントの幹部に相談するというのが一般的ですよね。自分で決めていい分、オファーも早い。内田篤人選手(清水東)にも、真っ先に声を掛けています。

「会社に対して誰々にオファーしていますよ、というのはもちろん報告はしているよ。篤人にも、他のクラブからいろいろと声は掛かっていたんじゃないかな」