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「どこからどこまでがセクハラ?」と悩むあなたへ――2018年のセクハラ問題の本質

「上司の娘さん」にそれができますか?

2018/05/21

麻生太郎氏「記者を男に替えれば」発言への批判

 福田淳一元財務事務次官のテレビ朝日女性記者へのセクハラ騒動で、麻生太郎財務相が「だったらすぐに男の番(記者)に替えればいいだけじゃないか」と発言し、女性の働く場を奪う性差別だとして強く批判された。ペンス・ルールの議論と麻生さんの話は、つながっている。

 また元日経新聞記者の社会学者・鈴木涼美さんは「テレ朝記者『セクハラ告発』に舌打ちしたオンナ記者もきっといる」(iRONNA 2018/04/25付)で書いている。

「だって一部の(と言わないと怒られそうなので一部の)おじさんたちって結構おバカで、私たちが谷間の見えるワンピでも着て上目遣いで涙を浮かべると、さっき質問に来たうだつの上がらない男性記者には渡さなかった紙の一枚くらいはくれるものだから」

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「女性活躍をうたう政府のもとで、おっぱいとか縛るとか言っているトップ官僚がいることにみんなが辟易としているのは事実だが、こんな騒動を見ながら、活躍の場を失っている女性だっていることも、もうちょっと知ってほしいと思うのは、女性が差別されたり侮蔑されたりすることなく働ける社会を望んでいないから、というわけでは絶対にない」

 身も蓋もない、と思う人もいるかもしれない。でも男性がちょっかいをかけてくるのをどう利用するのかは、女性の自由のひとつでもあるという鈴木さんの視点は、ドヌーヴの「ノンと撥ねつける自由」に通じている。

©iStock

相手が上司の娘さんであってもできますか?

 ここでもう一度問おう。セクハラを終わらせることと、「言い寄る自由」「それをノンと撥ねつける自由」を保つことは、両立するのだろうか? それともトレードオフなのだろうか?

 福田元次官のようなオジサンの意識を改めさせるのが喫緊だという意見もあるだろう。私もそう思う。しかし21世紀になってもう20年近く経つのに、セクハラまがいの言動のオジサンは日本の会社にはたくさんいる。明らかに啓蒙や教育だけでは問題に追いついていない。

 私はここで、もうひとつの視点を加えたい。それは「セクハラ問題というのは、同時に力関係の問題でもある」という視点である。

 それを裏付ける補助線として、このツイッターまとめを紹介しておこう。『上司の娘さんにできないと思った行為や言葉は全てセクハラ』と考えれば男女の距離感を取りやすいのでは?。自覚のないセクハラオジサンに対して、「あなたのその言動は、相手が上司の娘さんであってもできますか?」と問いかけるというものだ。「もちろんできます」と胸を張れるセクハラオジサンはかなり少ないだろう。

 これは男女の一対一の話に見えていたセクハラ問題に、「男の上司」というもう一つの関係を加えたということだ。そうするとセクハラは、一気に別の見え方がしてくる。上司との上下関係が、セクハラという行動を左右してしまう。つまりは力関係によって、セクハラをするしないが決まるのである。