文春オンライン

炎上を乗り越えて、それでも「ひとり」で書く理由

山本一郎×井上理 対談「個人で情報を発信するということ」【前編】

note

パソコン通信のホストの離婚をレポートした

徳力 山本さんはいかがですか?

山本 ライティングから入っているのが井上さんだとすると、僕は逆にネットワークから入っています。もともと私、技術者というかプログラマー志向なんです。

 

徳力 ウソかホントか、たぶん、ここにいるみんなが真偽のほどをはかりかねてます(笑)。

ADVERTISEMENT

山本 本当ですよ。中学2、3年から高校にかけて在籍した数学研究会に、パソコン通信の「まちBBS」という草の根BBSを立てている先輩がいて、BPMの作りかた、スレッドの書き方とか、まだHTMLがない時代に「マシン語」っていうやつを教わりました。で、そのBBSにみんなで実況的に野球速報をあげたりとか、このマシンパワーで、最新情報を表示する仕組みをどうやって作るかとか、あれこれ。

徳力 理系だったんですねぇ。

山本 エントリーベースだとベーシックとか、オンラインゲームみたいなものをやっている人の家に泊まりこんだり、変遷はありますけどパソコン通信が私のオリジンですね。そこから自分の好きなことをいろいろ、パソコンを使ってやるようになりました。市内通話が3分10円の時代に、カプラ(コンピュータと電話をつなぐ通信機器)で800bpsとかでつないで、みんなでチャットをやったり。

徳力 当時は個人の情報発信というより、コミュニケーションですよね。

山本 それがある日ですね。私のコミュニティのホストだった資産家が、野球とパソコンばかりで私のことを顧みないと、奥さんに離婚をつきつけられたんですよ。それをコミュニティに書きこんで一大スキャンダル。で、中立の立場で話を聞きに行った私がその離婚の詳細を克明に記録しはじめて、それがみんなに読まれるようになって。

 

「読んだよ、おもしろいね」って、電話がかかってくる

徳力 読まれたという手ごたえは何で得たんですか。

山本 「読んだよ、おもしろいね」って、電話がかかってくるんです(笑)。それがちょっとした成功体験だったといいますか。

徳力 それがコミュニケーションからレポートする側に、山本さんがだんだん進化していくプロセスですね。

山本 その後PC版のニフティサーバーのような商業パソコン通信の時代になるんですけど、自分はとっくにやりすぎなぐらいやってたんで、いまごろ「始めました」とか言ってくるサラリーマンが当時バカに見えたんですよね。

徳力 初心者イジメしてたんですか?

 

山本 Unix(ユニックス・古参のOS)を学びはじめてからはなくなりました。当時流行りはじめたLinux(リナックス・無料OS)で、ユーザーガイドラインみたいなのができて、初心者にはきちんと答えましょうとか、コミュニティ自体が成長しないので、ひとりの構成員として受け入れかたをわきまえましょう、みたいなことを言われて、そうか、と。

徳力 当時、僕が東京でニフティの起業家フォーラムに参加したとき、山本さん、「切込隊長」なんてハンドルネームだから、すごく怖いひとだろうと思っていたんです。でも、ふつうに焼きそばとか作ってくれて、この人めちゃめちゃいい人やんって。

山本 じつは穏やかな人柄なんですよ(会場爆笑)。