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炎上を乗り越えて、それでも「ひとり」で書く理由

山本一郎×井上理 対談「個人で情報を発信するということ」【前編】

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2ちゃんねるを経て「誰かの土俵で」闘うことをやめた

徳力 それから、2ちゃんねる。山本さんとはニフティのフォーラム以来、しばらくおつきあいがなくて、気がついたらブログで有名人になってたんです。この間に2ちゃんねる時代がありますね。

山本 2ちゃんねるのサーバーを管理している人が、アダルトサイトやアダルトBBSを運営していて、そちらにアクセスやお金を動かしているのを見つけてしまったんですよ。西村博之はそれでいいと思っていたようですが、私はそういう不透明なの大嫌いなのでちゃんと契約書を作ったほうがいいとかワーワーやったけど、結局、私がやめるかたちで話が決着したときに、このまま何も発信しなかったら、居場所がなくなるという危機感だけでなく、忘れられる、忘れられかねないという恐怖が湧いてきて。

 

徳力 なるほどなるほど、その感覚は分かります。

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山本 自分を発信しつづけなかったら、絶対に沈黙するという危機感をもって「死体置き場」というホームページを立てまして(会場爆笑)。いや、「われわれは死んだ存在である」という意味です。のちに「俺様キングダム」と名前を変えるんですけれども。

徳力 どちらかというとずっとコミュニティ文脈でやってたところを一度断ち切られたのが、こんどは情報発信するかたちで、自分を中心にしたある意味のコミュニケーションになっていますよね。

山本 それもありますし、もう、あんまり「誰かの土俵で」闘いたくなかったんですよ。

一番ダメなのはスルーされること

徳力 おふたりともやっぱりコミュニケーション、発信したものによって生まれるフィードバックが原動力になってる感じですかね。

井上 ぼくはそうですね。学級新聞やネット媒体だとダイレクトに読者がいて、リアルタイムに反応が返ってくる。でも雑誌などの紙媒体が何十万部売れても、やっぱり読者の反応は見えにくいですよね。

 

徳力 たしかにネット時代以前の媒体の反響って手ごたえないですよね。雑誌に特集記事を書いても、たまに「読んだよ」って言われるぐらいで、いいとも悪いとも言われない。

井上 2007年ぐらいに、単に紙の記事を掲載するのではなくて、ネット専用の記事を作ろう、記者のリソースをネット編集部に割り当てようという実験的な試みをやって、ひとり僕が選ばれたんですね。そのときの反響の衝撃ですよね。半端ないバッシング。コメント欄で、もうボロカスに言われるわけですよ。

徳力 コメント欄は最初から設置されたんですか。

井上 最初から。基本的に公序良俗に反するもの以外は全部OKにしてます。

 

徳力 ブログ黎明期の記者の方って、反応がわかって嬉しいという方と、こんなボロクソに言われるんだったら、ネットなんか二度と書くかという方の両極端に分かれている気がします。井上さんは、そこは乗り越えたんですか。

井上 もう乗り越えました。まずフィードバックがすごくありがたいというか。やっぱり一番ダメなのはスルーされることだろうなと。

徳力 なるほど。好きの反対は嫌いじゃなくて無視、無関心。