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連載読書間奏文 藤崎彩織(SEKAI NO OWARI)

詩羽のいる街――読書間奏文 藤崎彩織(SEKAI NO OWARI)

「本人は意識してないけど、人間はみんな頭の中にBGMが流れてる。その場にふさわしいと、その人が思ってるBGM。沈みこんでる人は悲しい曲。浮かれてる人は明るい曲。だから、同じ時、同じ場所で、同じものを見ていても、そこから受ける印象は人によって違う」(山本弘『詩羽のいる街』より)

 

 私は主人公の詩羽が言ったこの台詞を読んで、思わず膝を叩いて、

「そうか!」

 と言わざるを得なかった。

 私は気分を変えるのがどうも苦手だ。一度感情に支配されてしまうと、そこから抜け出すのにいつも苦労している。

 今はそんなことを考えても仕方ない、考えるだけ時間の無駄だと頭ではしっかり理解しているはずなのに、気づいたら何時間も怒ったり、悲しんだりしてしまっている始末なのだ。

 例えば、朝起きた瞬間に嫌な気分になっていることがある。

 パチンと目を覚ました瞬間に、肺のあたりに泥のようなものが漂っていて、上手く息が吸えないのだ。

 ベッドの上で呼吸を整えながら、これは一体どうしたことかと胸に手をあてて考えながら、

(ああ……もしかしてあの事がずっと心につっかえているのかな……)

 と泥の正体に目星をつける。

 でも、それは大体の場合今考えても仕方のないことばかりなので、

「なんだ、どうでもいいことを思い出しちゃったなあ」

 と一蹴してしまえばそれで済む話なのだ。

 しかし私は数年前に自分のことを書かれたネットニュースを思い出して、

「何も調べずにあんなに適当なことを書くなんて酷い!」

 と急に怒ったり、随分前に行ったライブのことを思い出して、

「あの時のMCはちょっとダサかったかもしれない」

 と落ち込んだりしてしまう。

 そういう時には確かに頭の中にBGMがかかっている。無意識のうちにボリュームのツマミが上がり、ただ目を覚ました瞬間にふと思いだしただけのささやかな怒りが大音量で再生されてしまうのだ。

 頭の中にBGMがかかっているのだとしたら、きっと私は怒っている時により怒りが増す曲を、落ち込んでいる時により沈み込んでしまう曲を頭の中でかけてきたのだと思う。