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ときどき思い出す「しじみちゃん」こと大貝恭史の悲劇

文春野球コラム ペナントレース2018

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あの元気者の大貝が幽霊みたいに立っていた

 その後、気落ちした西崎は次の鈴木健を歩かせ、垣内哲也に3ランを喫する。甘いストレートだった。更に田辺徳雄にヒットを打たれたところで降板。記録どころか勝利までけし飛んでしまった。文字通り打ちのめされ、自分で立って歩くのもやっとという感じでマウンドを降りた。が、大貝は逃げられない。センターの守備を続けるしかなかった。僕は何度思い出して泣いたかわからない。あの元気者の大貝が、幽霊みたいにポジションに立ってるんだ。心が死んでるんだよ。

 大貝はその日、何もコメントを発せず、球場を引き上げたようだ。口を開いたら言い訳になりそうで、自分を許せなかったんだと思う。幸いなことに西崎はその年、7月5日の西武14回戦(東京ドーム)であらためてノーヒットノーランをやり直してくれた。史上60人目の快挙、今度はナイターでの達成だ。僕は西崎は大したもんだと感激した。もし、あれっきりだったら一生、大貝は自分を責めたかもしれない。

 ただ大貝恭史というプレーヤーは大成しなかったんだ。出場機会を次第に減らし、その後、目立った活躍は97年ファーム日本選手権のMVPくらいだったろうか。02年にひっそり現役引退。デビューの華々しさを知る者にとっては寂しい引退だった。たぶん「しじみちゃん」大貝のことは忘れられていくのだろう。ひとつの落球が素晴らしい選手を殺してしまった。

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97年のファーム日本選手権でサヨナラ本塁打を放った大貝 ©共同通信社

 僕はたった一度だけ、大貝恭史に話しかけたことがある。引退した年だ。たしか神宮球場の内野席、大学野球を見に行ったらスタンドに大貝がいた。面識はない。スカウト業務か何かで来ていたんじゃないか。勇気を出して「ライターのえのきどいちろうと言います。大貝さんですよね?」と声をかける。

「おつかれ様でした。球団に残って、野球の仕事を続けていただけることになって、本当に嬉しいです。僕は大貝恭史という野球人が大好きです。苦しかったのにいつも顔を上げてた。これからもファイターズをよろしくお願いします」

 そうしたら破顔一笑、「はい、頑張ります」って。あれはいい顔だったなぁ。翌年からコーチを務め、退任後も北海道に残っておられるそうだ。

追記:コラムをアップしたら、何と大貝恭史さんご本人からご丁寧な御礼のメールを頂戴した。当時のことを懐かしく思い出された由。今は北海道の会社から香川県に出向されてるそうだ。休みの日は母校・鳴門高校へ野球を教えに行かれているとのこと。僕は嬉しくてダダ泣きである。

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