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36歳 内海哲也「巨人軍を変えた男」のプロ15年間

文春野球コラム ペナントレース2018 テーマ「学ぶ」

内海哲也が変えたチームとは?

『圧倒して奪った優勝 原巨人』
 
 手元に2012年9月22日付の日刊スポーツがある。前夜、東京ドームのヤクルト戦に勝ち、3年ぶり34度目のセ・リーグ優勝に輝いた歓喜のナインが一面を飾る紙面。この日の巨人スタメンを見ると、2番セカンド藤村大介、5番ライト矢野謙次、6番サード村田修一、8番レフト谷佳知とすでに半数はチームを去った。芸能面では当時新婚の上戸彩が「iPhone5」発売セレモニー出席と大きく報じられ、ゴルフイベントに参加して「ゴルフ合コン、キュンとしちゃう。でも今は犬が恋人」なんて昭和のアイドルみたいなコメントを残した佐々木希もいまやお笑い芸人の妻である。そんな近くて遠い6年前の記憶。

2012年のリーグ優勝に大きく貢献した内海 ©文藝春秋

 通常、優勝翌日はお祝いムード溢れるいい意味でユルい作りの紙面になるわけだが、この日の日刊スポーツに掲載された内海の手記はガチだった。「晴れの日に、ふさわしくないかもしれない。誤解を招くかもしれない。でも、今思うことを正直に記したい」と始まる手記は、夢かない祖父と同じ巨人のユニフォームに袖を通すも、暗黒時代と呼ばれたチームの苦悩を赤裸々に振り返っている。エースと呼ばれる先輩方は人を寄せ付けないオーラを放ち、後輩が気軽に会話することもできない。

「常にピリピリした空気が漂い、恐怖すら感じた。俗に言う派閥もあった。誰かと話すだけで『内海はあっちについた』とささやかれたりした。あこがれが大きかった分、ショックだった」

 子どもの頃から死にたいくらいに憧れた巨人軍は揺らいでいた。若い内海は絶望するが、やがて心に誓う。いつか自分が軸になり、新しい巨人を築くのだと。ちなみにチームは転換期で、桑田真澄、上原浩治、高橋尚成といった一時代を築いた主力投手たちが続々とメジャーリーグへ。グアム自主トレのリーダーを引き継いだ背番号26は「あの頃に戻るのは絶対に嫌だ。自分が引っ張るんだ」と年下の選手に接するようになる。もう人見知りなんて言ってられない。大人になるんだ。後輩を下の名前で呼び、聞かれれば何でも答えた。いい手本になれるよう練習での妥協も一切やめた。自身が初の最多勝を獲得したシーズンオフ、ソフトバンクから実績も年齢も上の杉内俊哉がFA移籍してくると個人の感情は抑え、ベテランと若手を繋げるのが自分の役割だと失礼を覚悟しつつ“トシ兄”って呼んだ。やがて内海は理想のチーム像に辿り着く。

「内海城はまだ平らな1階建ての城でしかない。でも、階が分かれているよりよっぽどいい。広いフロアにみんな一緒。『雑魚寝ジャイアンツ』で最高だ」

 そんな恵まれたフラットな環境に翌年加わったのが、ドラ1ルーキー菅野智之だった。等身大のリーダーがいて、ノーヒットノーランを達成したキレキレの杉内トシ兄も健在で、先発で結果を残す澤村拓一もいた。重圧をワリカンできる理想的なローテで新人の菅野はキャリアをスタートさせることができたわけだ。そして今、その菅野が中心となり、巨人は次の世代のサイクルへ進もうとしている。

 確かにエース内海の時代は終わった。だが、この男がベースを作ったチームはこれからも後輩たちに継承され続けるだろう。6月10日の西武戦で内海は今季3度目の先発マウンドへ上がり、7回2失点の粘投でチームのサヨナラ勝ちを呼び込んだ。サヨナラ打を放ったルーキー大城卓三の背中に飛び乗り、少年のような満面の笑みを浮かべる背番号26の姿。若手もベテランも関係ない。自分が新人の頃、大城の年齢だった頃、こんな風に同じ目線で無邪気に喜んでくれる先輩がいただろうか……。

 絶対にあの頃に時計の針を戻してはならない。もしかしたら、36歳の内海哲也は今も巨人を変えようとしているのかもしれない。

  See you baseball freak……

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