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米朝会談、金正恩外交の“成功”からオリックスが学べること

文春野球コラム ペナントレース2018

2018/06/15
note

 交流戦という事もあって、今月の「文春野球コラム」は変則オーダー。各々のライターの登場順序も対戦相手を踏まえて、いつもと異なるものとなっている。筆者が指定された対戦相手はDeNA。筆者の所属先が神戸大学である事を踏まえた、神戸対横浜、「港街対決」に違いない。そう今回こそ真面目な野球コラムを期待されているに違いない。

 ……って、その僕の登板日時、どう考えても、米朝首脳会談の翌日に、原稿の締め切りを設定しただけじゃないですか>文春さん。という事で、仕方ないので、今回、もう一回だけ「期待」に応えてやらせていただきます。

明らかな外交経験不足の金正恩

*****これは文春野球コラム ペナントレース2018の記事である*****

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 世界が注目した米朝首脳会談。開始前、アメリカのトランプ大統領は密かにほくそ笑んでいたかも知れない。交渉相手の金正恩は未だ34歳の若い指導者。父、金正日の死後、政権を継承してからこそ既に6年以上を経ているものの、北朝鮮自体の孤立もあり、国際社会で他国の指導者と渡り合った経験はほとんどない。北朝鮮を出ての海外での外交経験は、今年3月末の中国訪問が初めてであり、その後、南北首脳会談の直後の5月に再び中国を訪問した経験があるだけである。それ以外に、韓国との間の休戦ライン上にある板門店で4月と5月に行われた韓国の文在寅と2度の会談があるが、その板門店は自らの本拠地である平壌から車で僅か数時間の距離にある。つまり、ここでの首脳会談は本格的な「アウェイ」でのものという事は出来ない。

 金正恩の外交経験の不足はその表情や仕草にも表れていた。初の外遊となった3月の北京における習近平との会談において、金正恩は明らかに緊張し、ぎこちない表情に終始していた。逆に4月の南北首脳会談では当初から極めてにこやかであり、そこには準備に準備を重ねて、会談の成功を演出しようとした韓国の文在寅が期待した通りの姿があった。そしてこれらの金正恩の表情や仕草は、なんらかの特別な意図を持った演技のようには見えず、国際社会はそれらに若い政治的指導者の揺れ動く心理的状況を読み取る事となった。

 通常、外交的場面での交渉者が自らの心理的状況を明確に示すのは得策ではない。だからこそ、多くの人はその背後に、金正恩の明らかな外交的な経験不足と、独裁者の後継者として育てられた事による「誰も彼に意見できない特殊な環境」の存在を見る事となった。

 だからここからトランプがこう考えたとしても不思議ではない。金正恩との交渉は簡単だ。対する自分は経験豊かなビジネスマン。マスメディアでも活躍し、多くの聴衆を魅了してきた。加えて自分は世界最大の経済大国であり、軍事大国の大統領。欧米諸国の指導者に会った事すらない、経験不足の若い未熟な指導者など、自分が脅しおだて、或いはなだめすかせれば、簡単に譲歩に持ち込めるに違いない。会談の場所も朝鮮半島から離れたシンガポール、北朝鮮の背後の中国の影響力もここではさほど大きなものではない。この会談、行う前から自分の勝利は見えている、と。

米朝首脳会談で、握手を交わす金正恩委員長とトランプ大統領 ©getty

トランプにとっても「初めて」の経験

*****これは文春野球コラム ペナントレース2018の記事である*****

 しかし、実際の首脳会談の結果は異なっていた。多くのメディアで報じられているように両首脳により調印された合意文書には、結局、北朝鮮側の核廃棄に向けた具体的な手順は何も示されなかった。他方、にも拘わらず、文書においてアメリカは北朝鮮の体制保証にも歩を進める事を約束した。併せてトランプは記者会見で、北朝鮮との交渉中は米韓間の軍事演習を中止する事をも言明した。即座に軍事行動に転換する事もできる軍事演習は、軍事面での「最大の圧力」最有力の手段の一つであったから、北朝鮮が具体的な核廃棄への道筋を進める前に、トランプは自ら、貴重な手段を放棄した事になる。会談の結果を受けて、中国は既に経済制裁緩和の検討をはじめ、韓国政府も開城工業団地再開の準備に入っている。

 明らかなのは、この会談の結果北朝鮮が、未だ自らが大きな譲歩をする前に、アメリカを中心と行われてきた軍事的・経済的圧力の緩和へと、具体的な果実を得つつある事である。そしてそれは少なくともこの合意文から判断する限り、首脳会談で「経験不足の金正恩」が、「経験豊かなトランプ」と互角以上に渡り合った事を意味している。

 問題は、何故に一見大きなアドバンテージを持つように見えるトランプの経験が生きなかったか、だ。ここで重要なのは、北朝鮮という「体制を全く別にする相手」との、「核廃棄という複雑な過程を経る問題」を巡る交渉は、ビジネスマンとしての豊富な経験を持つトランプにとっても「初めて」だった事である。

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