昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

「日本一選挙に強い男」中村喜四郎は、なぜ新潟県知事選に本気で挑むのか

幻の中村喜四郎独白録「私と選挙と田中角栄」#1

2018/06/08

genre : ニュース, 政治

もし私が当選したらロッキード選挙で「全国最年少当選」

――中村さんは国会に議席を持つ田中角栄「最後の弟子」と言われております。秘書時代、若手議員時代を通して教えを受けた直伝の選挙戦術とはどのようなものだったのでしょうか。

 選挙というものは机上の空論ではなく、足を棒にして足で稼がなくちゃ勝てないという基本をいつも訴えていた人だったですよね。それをまともに聞ける人か、聞き流しちゃう人かどうかが、選挙に強いか弱いかの差になっていったと思います。

 私は大学を卒業してから4年ほど砂防会館(東京都千代田区平河町)にあった田中事務所にいて、1歳年上の鳩山邦夫さんなんかと一緒に秘書として働いていました。その間、ちょうどロッキード事件が起こって、田中さんが逮捕された直後の総選挙(通称・ロッキード選挙)に27歳で出たんですね。衆議院が解散になった日、私は田中さんに「いろいろ申し上げたいことはありますが、頑張ってください。もし私が当選したらロッキード選挙で『全国最年少当選』は田中角栄秘書ということになります。もし、私が負けても、(旧東京8区から出た)鳩山邦夫(当時28歳)がおります。どちらかが初当選して、『最年少』になれば、田中さんの事件に対するアンチテーゼを世間に示せるので、頑張ります」と言ったのを鮮明に覚えています。

ロッキード事件の初公判に向かう田中角栄 ©文藝春秋

 総選挙の開票中、田中さんは私が出馬した茨城3区の状況を、どこよりも関心持って見ていたそうです。私が当選したことをものすごく喜んだ。「中村は最高点(選挙区トップの得票)で合格した。ちゃんと約束を果たした、あっぱれだ」と言っていたと、後に事務所の人たちから聞かされましたよ。

選挙区内のほとんどの家を訪ねた

――田中角栄は初めて選挙に挑む新人に「戸別訪問3万軒、辻説法5万回」を課したと語り継がれています。

 私は初めて選挙に出る前、4年間で11万軒を歩いたんですよ。選挙区内のほとんどの家を訪ねた。田中先生から言われたからやったわけではないんですけど、私が初当選したら「中村に歩けと言ったら、ちゃんと歩いた。だから当選した」ということを仰っていたそうです。田中さんは私が自分から決めてやったことを知っていながら、「オレの弟子はそうやった。それでトップ当選している。オレの言うこと聞いている奴は強いんだ」と言い聞かせていたと聞きました。

新潟県知事選の女性候補(写真中央)と同席する中村 ©常井健一

「歩く」ということはテクニカルな点でも重要ですけど、やっぱり田中さんの場合、「人の気持ちも大切にする」という考えがその基本にありました。この人たちは何を欲しているのか、どうすればこの人たちの気持ちを惹きつけられるのかを瞬時にして見分ける。そういう政治家としての感性は、歩かないと磨かれない。だから、できるだけ歩いて身につけろと言っていたんですけど、普通の人にはその意味がわかりません。

 だから、田中さんに言われても聞き流しちゃう人は割と政治的に恵まれないまま終わっていったし、田中さんの持っているセンスをモノにするために盗もうとした人は選挙に強くなっていった。小沢一郎さんなんかも、羽田孜さんなんかも、田中さんの良い面を盗んだ人たちです。そういう人たちが田中派の流れを汲んで動いて、政治の表舞台で大きくなっていったんじゃないですかね。

この記事の画像